夏目漱石文学散歩この一年
        1996年3月
はじめに

 夏目漱石は明治29年4月から明治33年6月までの4年間、文部省の派遣でロンドンに留学するまで第五高等学校の英語の教授として熊本で過ごしている。熊本滞在中の明治29年6月には中根鏡子と結婚している。

 後に作家として活躍するようになってから、漱石の九州での体験は作品の中に投影されるようになる。『草枕』と『二百十日』はその代表的な作品である。漱石は旅行が好きで各地を旅している。『草枕』の素材になった明治30年大晦日の小天温泉旅行が有名だが、明治30年3月には久留米に来て、高良山から発心山まで歩いて草野に下山している。明治32年1月には小倉・宇佐・羅漢寺・耶馬渓・守実地方を旅して日田・吉井経由で久留米に至っている。この帰り道で漱石は吉井に泊まって「なつかしむ衾に聞くや馬の鈴」という句を残している。また明治32年9月には阿蘇山に登っている。これが『二百十日』の素材になっている。

 漱石の『吾輩は猫である』での作家デビューは、明治38年39歳の時である。漱石は大正5年に50歳で亡くなっているから、小説家としての生活はわずか10年である。しかし俳句を作っていたのはそれよりもずっと早く明治22年23歳の頃からである。松山出身の親友正岡子規との出会いがきっかけになっている。

 九州にはたくさんの夏目漱石に関する文学碑・句碑がある。そのいくつかをこの1年間で訪ねてみたのでそれを記すことにする。

『二百十日』の旅
阿蘇坊中キャンプ場の「二百十日」句碑

 7月上旬に知人数名と夏目漱石の『二百十日』にちなんだ文学散歩をすることになり、阿蘇に向かった。『西日本文学碑の旅』(西日本新聞社)に阿蘇坊中キャンプ場の『二百十日』記念碑のことが載っていたので、訪ねてみることにした。ところがなかなか見つからない。通りがかりの人に尋ねてみて、キャンプ場の片隅の草ぼうぼうの空き地にひっそりと立っている記念碑を見つけた。

 『二百十日』は『草枕』とならんで夏目漱石の熊本生活の体験がもとになっている。夏目漱石は実際に明治32年8月29日から9月2日まで山川信次郎と阿蘇旅行に出かけて阿蘇登山を行っている。『二百十日』の圭さんと碌さんの二人は内牧温泉から出発して阿蘇神社に参拝して昼過ぎから阿蘇山を目指している。今から思えば「早立ち」という登山のセオリーを無視した、かなりのんびりした登山である。

 漱石はこの旅行中にもたくさんの句を残している。岩波書店『漱石全集』第17巻によれば、戸下温泉【8句】、内の牧温泉【15句】、阿蘇の山中にて道を失ひ終日あらぬ方にさまよふ【2句】、立野としふ所にて馬車宿に泊る【1句】と合計26句になる。阿蘇の山中での2句を示そう。

  灰に濡れて立つや薄と萩の中
  行けど萩行けど薄の原広し

 ただ『二百十日』の中味から考えると、この場所に記念碑があることには疑問もある。地理的にはここは阿蘇山の麓である。もっと上の方にあるのが自然である。ここは本当に圭さんと碌さんが落ち込んだ谷だろうか疑わしい。『西日本文学碑の旅』の福島次郎氏の文章によれば、熊本県には夏目漱石の文学碑が4箇所ある。熊本大学構内の碑、小天温泉の碑、内牧温泉山王閣の碑とこの『二百十日』の碑である。この四つの中でここがなぜこんなに大切にされていないのか、信憑性に乏しいからではないか。

 草千里のレストハウスで昼食。天気予報は悪かったが雨は降りそうにない。晴れてはいないしガスが深いが、短時間の登山なら出来そうにも思える。草千里からは杵島岳と烏帽子岳に登れる。どちらも40分か50分で登頂できる。天気が悪いので階段沿いの杵島岳の方が安全だと私は考えたが、それでは面白くないということで烏帽子岳に登ることになった。5人で出発した。

 最初から強い風に吹き付けられる。視界があまりきかないので不安がある。ただ上りでは草千里のレストハウスが見えているので不安は少ない。稜線伝いに登る。道はしっかりついているので歩きやすい。やがて頂上に着く。ガスが深いので晴れるまで待って写真撮影をしようとした。山頂で休憩しているうちに男女の二人組が登ってきてすぐに降りていった。15分ほど待っているうちに雨が降り出してきたので下山することになった。

 ガスが深くなってきた。下山時に道を間違って急坂を降りる羽目になったが、そこは絶壁のようなところだった。危険な岩場もあったので、結局いったん降りた急坂を登ることになった。

 『二百十日』の中で圭さんと碌さんが味わったような目にあった。『二百十日』の世界を満喫した一日だった。

【コースタイム・平成7年7月2日】
草千里(13:25)→(14:10)烏帽子岳(14:25)→(15:20)草千里

もう一つの『草枕』ハイキングコース

夏目漱石『草枕』ハイキングコースといえば、一般的には熊本市のそれを指す。夏目漱石が明治30年の大晦日に熊本市島崎の岳林寺から峠の茶屋を経て小天に至ったルートのことである。漱石はこの年の年末年始を友人の山川信次郎と二人で天水町の小天温泉にて過ごしている。

 しかし久留米市が発行している『耳納連山三訂版自然歩道ガイド』には、もうひとつの『草枕』ハイキングコースが紹介されている。夏目漱石は明治30年3月に久留米にやってきて、御井町から高良山に登り、耳納連山を縦走して発心山に至り、草野町の発心公園に下山している。『草枕』の季節は春ということになっているが、漱石の小天旅行は真冬のことなので、『草枕』の情景はこの耳納連山での体験から採られているというのが定説だ。

 漱石はこの時もたくさんの句を残している。いくつかを示そう。

  雨に雲に桜濡れたり山の陰
  花に濡るる傘なき人の雨を寒み
  人に逢はず雨ふる山の花盛
  筑後路や丸い山吹く春の風
  山高し動ともすれば春曇る

 その耳納連山の『草枕』ハイキングコースを歩いてみることにした。高いところから下ったが楽だろうということで、漱石とは逆コースを取ることにした。

 大晦日の登山は経験がない。今回が初めてになった。発心山に登るのもずいぶん久しぶりだ。平成2年4月以来だから、6年ぶりということになる。吉井に勤務先が移って鷹取山にはよく登ってきたが、発心山に縁がなかったのは何故だろうか。山頂が車道であることが躊躇いを呼んだのかも知れない。

 麓の発心公園に駐車する。ここには立派な「漱石句碑」がある。

  松をもて囲ひし谷の桜かな

発心山に向かって登り始める。久しぶりなので過去の記憶がない。急なところもあり、上部は雪があり、凍結の恐れもあって、こわごわと登っていった。伐採の跡が痛々しかった。
 発心山の山頂に出て、これから高良山まで縦走だ。このスカイラインは展望が素晴らしい。久留米方面も八女の方も絶景だ。車道歩きばかりだろうと思っていたが、車道の左右を自然歩道が横切っている。通る車も大晦日だということもあって少ない。発心山には尾根ルートと横岩ルートとがあるが、この日私は尾根ルートを登った。縦走路上の横岩ルートの入り口にも立派な「漱石句碑」があった。

  濃かに弥生の空の流れけり

 しかしこれと発心公園の句碑には設立者の名がない。どうしてだろうか。
 紫雲台は屋根もある展望所だ。ここでお湯を沸かしてカレーライスとラーメンの昼食にする。車も少なく、人もいない。陽が指して気持ちよい。至福の一時である。

 ここから高良山は一息だ。結局、発心山から高良山まで正味2時間で着いた。大晦日の高良山は殺風景だった。売店も閉まっていて人もあまりいない。早々に下山した。王子宮まで駆け降りて、追分でタクシーを拾って、発心公園まで戻った。

 発心山の麓の草野町は由緒ある歴史の町のようだ。JR久大線草野駅を利用した耳納縦走をいつかやってみたい。標識のつけられ方から見て、耳納縦走は高良山から発心山に向かうのが本当のようなので、今度は草野町に下山してみたいと考えている。『草枕』の情景にふさわしい3月頃にできたらいいが。

【コースタイム・平成7年12月31日】
草野町発心公園(8:30)→(10:30)発心山(10:35)→(11:40)紫雲台(12:25)→(13:10)高良山(13:20)→王子宮(13:40)→(13:50)追分バス停

『草枕』ハイキングコース再訪



 1年前に一人で歩いた熊本市の夏目漱石『草枕』ハイキングコースを今年の正月も歩いた。時雨ていた一年前と違って今年は典型的な小春日和で、暖かく気持ちのよい散歩になった。岳林寺から歩き出す。ここの「夏目漱石『草枕』ハイキングコース一五.八キロ」の標識には空き缶が乗っていて無粋だった。昨年来たときには「ゴミを出さないでください。」の標示がかけてあった。

 峠の茶屋公園に立ち寄って、だんごを食べてお茶を飲んで休憩する。上の資料館は今日は休みだということ。ここからは車道を避けて風情のある散歩道を歩く。しかし野出の峠の茶屋跡に向かう石畳の道は長いダラダラした上りで意外に苦しく、楽しくはなかった。

 「二の岳登山者専用駐車場」を過ぎるとすぐに野出峠の茶屋跡だ。ぽかぽか陽気で見晴らしもよい。素晴らしい眺めだ。有明海が一望の下に見渡せる。三角や天草方面の展望がいい。ここでのんびりと昼食にした。
 これから天水町小天温泉に向かって降りていく。1年前にも出くわした犬の集団が今年もいた。こちらは夏目漱石『草枕』の旅情に浸っているのにぶち壊しだ。憤慨しながら歩いた。

 漱石館にたどり着き、那古井館で宿のパンフレットをもらって、天水町発行の『草枕の里を彩った人々』を数冊購入した。この後バスに乗って河内経由で熊本市まで帰ってきた。

二度目の夏目漱石『草枕』ハイキングコースだったが、1年前とはずいぶん違う印象を受けた。面白かった。天気が良かったことが理由として挙げられる。那古井館に一度は泊まってみたいという気持ちを持った。どんな形で行けるか、あれこれ考えていた。

 小天旅行中にも漱石はたくさんの俳句を残している。いくつかを記そう。

  かんてらや師走の宿に寝つかれず
  温泉の山や蜜柑の山の南側
  天草の後ろに寒き入日かな
  元日の山を後ろに清き温泉
  温泉や水滑らかに去年の垢

【コースタイム・平成8年1月2日】
岳林寺(9:20)→荒尾橋(9:35)→鎌研坂(9:50)→(10:05)峠の茶屋公園(10:20)→(11:45)野出峠の茶屋跡(12:35)→(14:00)天水町漱石記念館

まとめ

 平成8年1月21日に高良山に登った。この日は高良山の漱石句碑を訪ねてみた。にぎやかな森林公園の駐車場周辺と違って閑静なところだ。これは久留米市が作った立派なものだ。句碑には「菜の花のはるかに黄なり筑後川」とある。

 下山後に久留米市山川町にある漱石句碑にも立ち寄ってみたが、意外に寂しいものだった。こちらは最近立てられているようだ。漱石が耶馬渓旅行の帰りにこの付近に立ち寄っているとのことで、高良山や発心山、発心公園にある漱石句碑とは設立の意味あいが違うようだ。

 漱石は明治32年1月7日に耶馬渓旅行の帰りに山川町追分を訪れて「親方と呼びかけられし毛布哉」という句を詠んでいる。これは『坊っちゃん』三に登場する「親方」のモデルになっているようだ。

 その後、発心公園の漱石碑も再訪した。漱石が管虎雄を訪ねてきて、発心公園を訪れ、「松をもて囲いし谷の桜かな」の句を残したとの説明書きがあった。これで高良山周辺の四つの漱石句碑を確認したが、大分自動車道の碑、久留米市山本町の碑などもあるらしい。ごく最近作られたばかりの記念碑もあるようだ。

                             (1996年3月記)

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