大船林道           〜大分県〜

    一九九四年八月一四日(日) 大船林道  読書会【妻・ヨシキ・ユリ】
吉部登山口(10:20)→(11:20)鳴子川渓谷(12:10)→(13:00)坊がつる分岐(13:10)→大船林道→(14:50)吉部登山口

 一九八一年以来、通算一二回目の読書会夏山合宿参加。ヨシキは三回目、ユリは二回目の参加になる。登山はこの前日に予定されていた。甘木を八時一〇分に出発して一〇時一五分に長者原に到着する。途中豊後森の「モンマートもり」で弁当を買った。ここのトンカツ弁当はおいしい。昨年も買ったが好評だった。長者原には既にほとんどの人が集合していた。ところが台風の影響で長者原は大雨。とても登山ができる状態ではない。この夏は晴天続きで大変な渇水なのだが、皮肉なことにこの日だけは大雨に見舞われた。

 仕方がないので宿舎に向かう。産山村の「花の温泉館」で入浴と昼食。そのあとで宿舎の民宿「大平の上」で午後三時から読書会になる。レポーターの坂口さんがていねいな文書によるレポートを提出された。テーマは夏目漱石の「坊っちゃん」である。私は先日松山を訪れて子規堂や道後温泉に立ち寄った。松山の土産には「坊っちゃん」に関するものが多かった。道後温泉のアーケード街には人力車が走っていたし、坊っちゃんとマドンナが歩いていた。

 夕食後にも読書会は続けられたが、ヨシキとユリの寝かせ付けをしていた私はそのまま一緒に眠りこんでしまった。読書会は一二時までにはお開きになったようだ。

 翌朝はヨシキとユリが早起きして、騒ぎ始めた。眠っているみんなを起こしそうだったので、小学校六年生の坂口エミさんと四人で散歩に出かけた。産山村役場は六時半になると村中にラジオ体操の放送を流していた。我々は産山北部小学校でしばらく遊んでいた。学年に一五人ほどしか生徒がいないようだが、校内にはなかなか面白いものがあった。エミさんとブランコに乗ったりした。さわやかな朝だった。

 もどってきてすぐに朝食になる。天気もよく天気予報の降水確率も三〇パーセントほどなので登山を決行することになる。この時に私がユリを背負う背負い子を忘れてきたことが判明した。愚かな父親よ。みんなの苦笑を誘ったがとにかく登山をやることになった。村上一朗さんが「ヨシキ君は僕が背負おう」と力強い言葉をくださった。合宿の二日目にある程度の登山が行われるのは初めてである。

 ヨシキがブルースワットを見終わると出発。池山水源で水を補給して長者原に向かう。それから吉部の登山口に移動する。準備をして一〇時二〇分に登山開始。今日のコースは村上一朗さんのお勧めのルートだ。登山口から八〇分で大船林道との分岐に出会い、さらに三〇分で坊がつるに達するというもの。最近坊がつる・法華院に入るルートとして人気が出ているらしい。六月に下見があっていて、今日の参加者のうち五人は既に経験済みだ。一四人が今日の登山に参加した。

 体調不良などで待機されるKさんと坂口さんに車のキーを預けて出発する。いきなりの急登だが、ヨシキは村上さんたちと一緒に登り、ユリは私がダッコした。荷物分担やオンブひも作製など、もろさん・しのさん・Iさんの支えがあった。急坂も長くは続かずに快適な平坦な道になる。森林帯の道で涼しく気持ちがよい。

 途中から沢に降りる。ここで昼食になる。お握りが一人二個しかなく、ひもじい思いをした。水が好きな村上一朗さんの指導でヨシキはずいぶん水に親しんでいた。水に入ったり、岩の上を歩いたりしていた。ヨシキは村上さんの弟子のようになり、石を拾っては「村上さん、これを見つけました」などと言っていた。

 さらに坊がつる方面を目指す。進むにつれて三俣山と平治岳が見えてくる。ガスがかかっていてはっきりとは見えない。やがて大船林道との分岐に出る。もろさんが「法華院まで行くとビールが飲める」と言うので進んだが、小雨がぱらついてきた。それで写真撮影をして引き返すことにした。

 帰りはもろさんは往路と同じ道を帰られたが、残りの一三人は大船林道を歩いた。この林道を通るのは法華院温泉関係の車だけだ。一般の車は通行禁止になっている。この林道もなかなか風情があった。みんな足が早く、我々は取り残されてしまった。私がユリをダッコして、妻が荷物を背負った。そして村上一朗さんが眠くなったヨシキをオンブして、奥さんが荷物を背負われていた。歩きながらヨシキは「村上さん、ここら辺で写真を撮りましょう。」などと言って村上さんを閉口させていた。

 妻と奥さんは子育て論議をしながら歩いていた。村上さんのところには五月二八日に孫が誕生していた。しかも双子の女の子である。名前を「ひかる」・「あかね」とつけられた。万葉集から取られたらしい。お乳を飲まなくて困っているといった悩みだが、うちの家内はごく最近乳幼児の子育てを体験しているわけだから、話は弾んでいた。

 大船林道はガイドブックでは二時間かかるとあったが、一時間四〇分で着いてしまった。意外に時間はかからなかった。そのあと筋湯温泉に汗を流しに向かったが、我々一家は熊本の実家に帰省するためにここでお別れした。熊本市に向かったが阿蘇周辺の道路は大渋滞。着いたのは19時だった。
 帰った後でヨシキは「昨日、村上さんの夢を見たよ。」などと言っている。村上さんを尊敬しているようだ。「大草原の小さな家」を見ていてマイケルランドンを「村上さんがテレビに出ている。」と言っていた。また父親が「古処山に登りに行こう。」と言っても「古処山はいやだ。九重山がいい。」と言う始末だ。村上さんと一緒に歩いた九重の吉部からのルートがとても楽しかったようだ。

 読書会の登山について。私は「阿吽」第一号に「読書会登山日記」を掲載した。詳しくはそちらを参照されたい。歴史をふりかえる。一九八一年は宝珠山釈迦が岳に登った。一九八二年・一九八三年は二年続けて九重山。一九八四年は国東半島で海水浴。一九八五年・一九八六年・一九八七年は三年連続で若杉山、一九八八年は別府鶴見岳の予定だったが雨で中止。一九八九年に鶴見岳に登った。一九九〇年は涌蓋山登山の予定だったが、天気に不安ありで一日目は一目山・二日目は万年山。一九九一年は牧の戸から星生山を経て長者原に下山した。さらに二日目は阿蘇中岳。一九九二年は雨で中止。一九九三年は黒岩山から泉水山への縦走。今年一九九四年は一日目は雨で中止。二日目に大船林道から坊がつる方面。登山には私は八回参加している。欠席したのは若杉山の三回だ。読書会合宿としては一四回のうち一二回に参加した。

 この吉部からのルートについては、「山と蝶と」にも出てくる。村上カスミさんは大船林道を歩いている。福岡山の会も二年前にこのルートから平治岳に登っている。山と渓谷社の「分県登山ガイド・大分県」に取り上げられたこのルートはこれから歩かれることになるだろう。                  
 
  

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