金山三の沢           〜福岡市〜

      一九九四年七月二四日(日) 金山・三の沢 福岡山の会
国民宿舎千石荘上部(10:10)→(12:30)ナメ沢【遭難事故現場】(14:00)→(16:25)国民宿舎千石荘上部

 今回は私にとっては三回目の沢登りになった。日程がうまく合うのか沢登りだけはよく参加している。天神に出て岩田屋前からバスに乗る。バス停にはMさんとOさんがいらっしゃった。Mさんはバイクで現地に向かわれる。

 バスの中で今日の沢登りの案内図をいただいたが、それは吉川満「九州の沢の源流」からのコピーだった。Oさんが「吉川さんの本は信頼できるので最近よく利用している」とおっしゃっていた。

 私は昭和六三年(一九八八年)一〇月に単独で祖母山に登りに行った。このときに一の鳥居登山口で吉川満さんと偶然出会って、吉川氏から「私と一緒に登りませんか。私と登ると面白いですよ。」と声をかけられた。そして一日一緒に行動した。北谷ルートで祖母山に登頂して風穴ルートを下山した。私が登山を始めて一年目の出来事だった。

 吉川さんはその後次々とガイドブックを出版されるようになった。葦書房から出されたのは「熊本県の山歩き」「大分県の山歩き」「宮崎県の山歩き」「鹿児島県の山歩き」「福岡県・佐賀県の山歩き」「九州脊梁の山々」などである。山と渓谷社からも「分県登山ガイド・熊本県」や「九州百名山」(共著)を出版された。これらの書物の出版はすべてこの五、六年のことである。特に「宮崎県の山歩き」には祖母山のページに一の鳥居に立つ私の写真が掲載されている。

 私からは何度か「阿吽」をお送りしていたが、吉川さんはその都度すぐに礼状をくださっていた。その素早さに感心していた。そして今年の七月半ばには新刊の「九州脊梁の山々」を送ってきて下さった。ありがたいことである。
 
 千石荘のバス停に着くと、他の人たちは車で見えていた。準備をしてKさんの車で舗装終点近くまで上がる。いよいよ出発。Kさんがヘルメットを貸してくださったが、これが役にたった。巻き道を歩いていると頭が木の枝にぶつかったりする。早めにヘルメットを購入しようと思う。

 流れが急な小さな滝があったので、ロープで確保して登ることになった。私は水圧に押し流されそうになり、結局自力で登ることができなかった。こんな強い水圧は初めてだ。水の勢いに負けてしまってバランスを取ることができない。必死でよじ登ろうとはするのだが、滑って落ちてしまう。危険はないがつるつるすべるのでどうしていいかわからない。上からYさんが具体的な指導をなさってくれるが、水の中で相手の声が全く聞き取れない。最後には私は溺れそうな感じになってしまった。

 この間、時間的には二分か三分程度だったと思われるが、体力を消耗してしまった。百メートル競争の後のような虚脱感に襲われてしまった。暑い日なのに、日向にいないと寒さを感じるような状態になった。私は最後にロープで引っ張り上げてもらった。歩きながら今日は特にYさんに指導してもらった。Yさんは物覚えの悪い初心者の世話をしっかりやってくださった。

 今日の予定は金山の三の沢を登るということだったが、間違って金山沢に出ているらしいとのことで、途中から引き返した。そして三の沢を目指したが滝から人が転落していた。六人ほどのパーティで登っていたらしい。頭は打っていないが全く歩けない状態である。痛みもひどいようだ。苦しそうである。

 このあとKさんとMさんが連絡を取るためとロープを取りに下って行った。待っている間にUさんがソーメンの準備をなさっていたので、みんなで食べた。ソーメンはおいしかったが、隣に重症の人がいるので気分は重苦しく、お通夜のような昼食だった。Kさんたちは一時間あまりで帰ってこられた。大変な健脚である。それから木を切ってロープをつないで担架を作った。この間のテキパキした遭難救助の判断や指示はUさん・Kさん・Yさんがなさっていた。さすがは山のベテランである。

 担架を六人で持ち、道の左右にロープを張って安全確保しながらの下山になった。単独で歩いても怖い登山道を担架を持って歩くのは楽ではない。自分が転落しないようにして歩くのだから疲労感は相当なものだ。救助に参加する人たちの人数が増えて、交代しながら降ろした。なんとか無事に救急車に乗せたときにはほっとした。怪我をした人は意外に元気そうに見えた。

 今回のような遭難騒ぎは初めての経験だった。一旦遭難すれば周りに大変な迷惑がかかる。自分自身が決して遭難しないように細心の注意を払うべきだということを認識した。

                                              

  

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