京都旅行 宇治拾遺物語の山 京都愛宕山に登る

                   1994年5月14日(土)〜15日(日)   
清滝登山口(12:00)→水尾分かれ(13:25)→山門(13:45)→(14:00)愛宕神社(14:25)→清滝登山口(15:45)→(15:55)清滝バス停


1日目出発

 職場の同僚と京都三大祭の一つ葵祭りを見に行こうということになった。職場での旅行は初の試みだ。日程は二日間で一日目に京都観光をして、二日目に葵祭を見ることになった。ただ私にとって京都に行くということはなかなかできることではない。観光だけで二日間を終わらせたくはない。なんとかして登山をしたかった。京都には日本百名山に入るような本格的な山はないが、日本三百名山の比叡山と愛宕山がある。また鞍馬山も有名だ。登山の対象になる山はかなりある。

 一日目はお昼ごろに京都に着くということなので登山の対象は一つに絞るべきである。私が京都の山に対する憧れを強めたきっかけは四年前に刊行された久留米在住の村上明・村上カスミ夫妻の「山と蝶と」(葦書房)だった。村上さんは京都に住む娘の招きで愛宕山と鞍馬山に登られている。この文章を読んで京都の山に登ってみたいという気持が高まった。

 あれこれ考えた末に、京都府最高峰(標高924メートル)であり、高校の国語教科書によく登場する宇治拾遺物語・巻八の六「猟師仏を射る」の舞台になった愛宕山に登ることにした。この話は「昔、愛宕の山に久しく行ふ聖ありけり。年頃行ひて、坊を出づることなし。西の方に猟師あり。」という一節で始まる。狸が普賢菩薩に変身して聖を化かすが、山の麓の猟師がこれを見破り、狸を弓矢で射殺すという説話である。愛宕山は地蔵信仰と関連して宇治拾遺物語(巻二の一)や今昔物語集(巻一八)にも何度か登場する。

 旅行の参加者は結局6人にとどまった。職場の歓送迎会の際にオオイシさんにこの登山の話をしたところ、一緒に登ってくださるとのことだった。それでオオイシさんと二人でみんなよりも一時間半早い新幹線で出発することになった。

 当日は6時5分甘木インター発の高速バスで博多駅に向かう。改札口に着くと既にオオイシさんは待っておられた。一時間前に着いていたということだ。7時35分発の新幹線に乗る。車内ではいろいろなことをお話した。オオイシさんは定年まであと一年だ。福岡県の文学碑の研究と随筆とで知られる方だ。このオオイシさんとこの日まる一日にわたって御一緒させていただいたのは幸運だった。

 オオイシさんは先日この愛宕山登山のトレーニングとして宝満山に登られたそうだが、宝満山の中宮跡の直下には芭蕉句碑がある。「世の人の見つけぬ花や軒の栗」という句だが、この記念碑の建てられた日付が5月12日になっているそうだ。しかし芭蕉の命日は10月12日ということでこれは変ではないか。よくみると五の上に二という数字が書いてあるようにもとれる。昔は二六時中という言葉に見られるように数字をかけることがよくあった。などといった色々な考察を話していただいた。

 11時に京都到着。雨も予想されたが京都は晴れている。少なくとも今日一日は大丈夫のようだ。駅前の「京都創生1200年」の垂れ幕が華々しい。コインロッカーに荷物を預け、タクシーに乗って清滝に向かう。タクシーの運転手さんは気さくな人で、この空模様なら登山中は雨の心配はないとのことだった。京都駅からの料金は3000円。バス停より先の登山口まで入ってくれた。


愛宕山登山

 登山の準備をして出発する。初めはアスファルトの車道で風情がないが、やがて端正な石畳の道になる。表示が細かく迷う恐れはない。登山道全体を五〇丁に区切ってあって分かりやすい。休憩所もいくつもある。オオイシさんは淡々とあまり休憩もせず水も飲まずに登っていかれる。登山の回数は私の10分の1以下だろうが、一芸に秀でている人物は多芸に秀でている、まさにその通りだ。決して私がオオイシさんに合わせて歩いたわけではない。

 亀望台という亀山市が望める地点を過ぎると水尾分かれに達する。タクシーの運転手さんから水尾の里に下るように勧められていた。登山道の両側はクマザサが多い。水尾分かれの先で頭上に電線が通っていることに気付いた。

 愛宕神社の大きな山門をくぐってさらに登ると愛宕神社の境内に着く。広々としたところで枝垂れ桜がきれいだった。京都市街の展望は今一歩だった。愛宕神社付近は大変な人手だった。参拝客も花見客も大勢いる。愛宕神社に参拝した後、オオイシさんとあんパンを食べ、インスタントコーヒーを飲んだ。下りはのんびりと歩いたが、それでも膝をいためやすい下山だった。登山道をアカガエルが横切った。落ち葉の中に隠れていたら分からないだろう。

清滝には芭蕉句碑があった。「清滝の水汲み寄せて心太(ところてん)」という俳句である。ここで記念撮影をした。バスの時間を見るとあと10分しかない。バス停まで急いで何とか間に合った。ここで飲んだジュースはおいしかった。清滝からバスで嵐山まで行く。嵐山駅周辺を散策する。抹茶ソフトクリームがおいしそうだったので食べたかった。登山の後では冷たいものが欲しくなる。大石先生と一緒だったので遠慮したが、後で聞いてみるとオオイシさんも甘いものには目がないとのこと。こちらから言い出せばよかったと後悔した。嵐山から10分ほど歩いてJR嵯峨駅から電車に乗って京都駅まで帰ってきた。そして今夜の宿泊地のホテル飯田に到着する。汗をかいていたのですぐに入浴した。登山のあとでの気持ちのよいお風呂だった。

あとの4人もやがて到着。四人で嵐山周辺を自転車で回られたようだ。7時から宴会になった。料理はあまりおいしくなく、特にご飯がまずかった。お湯呑みはあるがポットも急須もなくサービスは不十分だった。しかし、最後にメロンのデザートが出たときは望外の喜びを味わった。

 外に出ようかどうか迷ったたが、部屋で宴会を続けることになった。ビール・チューハイ・つまみ・デザート・アイスクリームなどを買ってきた。部屋での二次会はなかなか面白く、各人の「過去」が語られた。会話は深夜まで延々と続いた。盛り上がった宴会は1時半でお開きになった。


2日目

 翌日は6時起床。雨が降っている。葵祭は絶望的に思われた。私はロビーで絵はがきを書いた。出発の直前に郵便物をいくつも受け取っていたので、返事やお礼を書いたりした。10枚にも達した。書いている最中の7時のNHKニュースの冒頭で「葵祭は明日に順延になりました。」との報道が流れた。残念だが覚悟を決める必要がある。

 オオイシさんは一人で奈良に行かれることになった。心酔している写真家入江泰吉の展覧会があっている奈良市写真美術館を訪ねるということだ。残りの5人はまず京都国立博物館で開かれていた「王朝の美」展覧会に向かった。入場料2000円。この日が展覧会の最終日である。10時半現在の入場者が3000人ということで大変な混雑に見舞われた。ゆっくり落ちついて見ることができなかったが、「源氏物語絵巻」・「鳥獣人物戯画」・「普賢菩薩像」・「地獄草紙」・「石山寺縁起」などを見ることができた。特に「普賢菩薩像」は昨日登った愛宕山との関連があって興味深く見た。2300円のパンフレットをみんなで買った。6人分はとても重いので宅急便で送ることになった。到着するのが楽しみである。

 人が多くゆっくり見るどころか抜け出すのに苦労する有り様だったが、このような展覧会に入ったのは久しぶりだった。美術館や博物館を訪ねることは継続する必要があると思った。

 次に博物館の横にある国宝三十三間堂に寄った。入場料500円。千体以上の仏像が並んでいる。ここも修学旅行客が多かった。その後河原町に出て昼食とコーヒー。自由行動になり、イダテンさんと私は東映太秦映画村に向かうことになった。電車を間違えて出町柳というところに行った。ここからは叡山電車に乗って比叡山や鞍馬山に向かうことができる。出町柳からタクシーで太秦に向かった。市街地を通らなかったので1700円で着いた。映画村の入場料は2000円。

 正直言って事前には私は太秦映画村行きには乗り気ではなかった。しかしここで2時間半ほどの時間を楽しく過ごしてしまった。イダテンさんは俳句にも造詣が深い。この旅行でのイダテンさんの句。「落柿舎の縁に腰かけひねっても俳句浮かばぬ嵯峨野の暮春」「古寺めぐりミズを誘うや宇治ソフト」

 太秦映画村では色々なものを見て回ったが、一番印象に残ったのはロケーションスタジオでの撮影だ。時代劇の15分程度の小品のロケがあった。ここはガラス張りのスタジオで、撮影の様子を観客は見ることができる。そしてそれがテレビ画面ではどうなっているかが分かる。スタジオ内にはトランポリンやロープがあるが、テレビでは忍者が高いところから飛び降りたり、ジャンプをしたり、消えてはまた現れるように演出されている。役者達の演技も迫力があった。

しかし東映の本当の撮影所は映画村の隣にある。この役者達は実際の映画やテレビに出たことはあるのだろうか。こういう観光客相手のステージばかりでは空しくないだろうか。彼らの気持ちを察すると悲しいものを感じた。

 1982年に公開された「えきすとら」という映画を思いだした。武田鉄也と石田えりが出演していた。題名の通り「えきすとら」俳優たちの悲哀を綴った映画である。この映画は好きで何回も見た。私の高校時代の演劇部の友人にもこれに近い人生を送っている者がいる。

 太秦映画村から15分ほど歩いて、JR太秦駅に着いた。イダテンさんも歩くのはお好きなようだ。ここから電車で京都駅まで帰り、土産を買った。私は八つ橋とおぼこ(八つ橋の一種)と宇治茶を買った。八つ橋はおいしくなかったようだが、あとの二つは好評だった。

 新幹線のコインロッカーに着くと二人の方が現れた。二人で大徳寺に行かれていたようだ。新幹線のホームにはオオイシさんが待っておられた。18時12分に出発すると席はまたもオオイシさんの隣だったので奈良の話を楽しく伺った。奈良市写真美術館のほか、春日大社や志賀直哉旧居も回られたようだ。入江泰吉の絵はがきを見せてもらったが、一枚一枚に迫力があった。中でも大津皇子が処刑された二上山の夕陽の写真は圧巻だった。歴史的事実を知るものにとっては、このTPOで二上山の写真が撮られていることには、芸術家の深い仕掛けがあるように見える。「自然は芸術を模倣する」という小林秀雄の言葉が話題になった。

 新幹線が広島を過ぎると乗客も少なくなる。小倉を過ぎると旅も終わりに近い。この旅行が終わると名実ともにこれまでの職場ともお別れだ。旅の終わりはいつも悲しいが今回は格別のものがあった。

 博多駅に21時到着。行きと同じ高速バスで帰ったが、空港付近で渋滞して甘木インターに着いたのは22時50分だった。 

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