富士山           〜静岡県/山梨県〜

      1992年8月6日(木) 富士山 近畿日本ツーリストツアー
(富士スバルライン)富士新5合目(16:20)→(20:20)8合目山小屋太子館(0:45)→(4:45)富士山頂(5:30)→下山道→(8:30)富士5合目

近畿日本ツーリストの「富士登山の旅」に参加した。このツアーには昨年夏に私の職場の上司が参加していた。参加者40人中20人しか富士山頂に達しなかったと聞いていたが、敢えて申し込んだ。

早朝の空港は賑わっていた。福岡空港を7:25に出発する。名古屋空港に8:35到着。大学受験以来15年ぶりの飛行機だったが、離陸時は恐怖を味わった。ここからバスで富士登山口へ向かう。参加者は38人。富士登山については、バスガイドさんや添乗員さんからかなり脅かされる。参加者全員が相当緊張したようだった。

15時過ぎに富士スバルラインを通って山梨県側の登山口に到着する。標高2305メートル。これが現在では一般的なルートのようだ。15:40にみはらし荘レストハウスで夕食。16:15に集合して記念撮影の後いよいよ登山開始。勝手な行動を取らないように、登山ガイドの人から厳しい注意がある。

5合目から8合目までだが、登りに4時間かかった。集団行動なので30分おきに休憩を取り、のんびりと歩いた。登山道は予想していたよりも歩きやすい。歩いているうちに日が暮れてしまい、ヘッドライトを初めて本格的に使用することになった。歩きながら見た富士吉田市の夜景はきれいだった。また星もきれいで北斗七星など柄杓が明瞭に見えた。

宿泊所は太子館という山小屋だった。これは予想外に新しい立派な山小屋だった。売店や電話もある。寿司詰めに横になり、布団を5人で2枚利用して仮眠を取る。翌日は0:15起床、0:45集合なので、3時間あまりしか眠れないことになる。標高3080メートルの世界で一夜を過ごすことになった。心配していた高山病の恐れはないようだ。

未明に起床、朝食も取らずにヘッドライトをつけて富士山頂をめざす。難しいところはないが、軽快というわけでもない。お腹がすくので500円で2個のあんパンを買って食べるが、なかなか喉を通らない。これは軽い高山病なのかと思いながら登った。

天気がよく、空気が澄んでいるので、夜景も星空も雲海もきれいだった。オリオン座が見えた。なぜ夏に見えるのかという話になったが、夜明け直前に短時間顔を出すそうだ。

山頂が近づくと登山者による渋滞になる。なかなか前に進まない。私は外国人の登山者に手を踏まれてしまった。言葉が通じないので自分でどかした。ルールを無視して近道する登山者がいて叱られていた。東京の九段高校の一行とも一緒になった。だんだん東の空が白んできて明るくなると山頂も近い。

とうとう山頂に着いた。夜明けまでは10分ほど余裕があった。御来光を見るとさすがに感動した。富士山頂は人であふれていた。「写真を取るんだ。邪魔するな。」の声や登頂に感動している場面にも出くわした。近畿日本ツーリストのツアーは参加者38人中29人が登頂した。かなりの好成績を残した。

 山頂でうどんでも食べたかったが、それだけの時間はなかった。5時半から下山した。下りは砂のなかをジグザグに降りていく道で、歩きにくく、単調な下山道だった。半分ほど降りた辺りから気分が悪くなってきた。悪寒がして、頭痛がひどくなった。典型的な高山病だ。下山したら後の予定をキャンセルして帰ろうと思いながら必死で降りた。

5合目にたどり着いても調子はよくなかった。朝食を取ろうとしたが食欲がない。一昨年5月の福智山を思いだしてしまった。しかし、1時間もすると治まってしまい、これが本当の病気でなく、ただの高山病だったことがはっきりした。

標高が高いと植物も全く生えていないが、かなり下ってくると珍しい植物がある。ヤシャブシ、クルマユリ、オニユリなどだ。私は今回の富士登山で10月出産予定の子供の命名のきっかけがつかめればと考えていた。このことが参考になるだろうか。

富士山には外国人登山者が多かった。これは九州の山では想像できない。以前九重の星生山でアメリカ人の二人組に会ったぐらいだ。西洋人も東洋人も大勢登っていた。

商業主義の蔓延には腹が立った。店が多く、あらゆるものが売っていた。お金さえあればなにもいらない。飲物も食事も手袋も懐中電灯も売っている。「山小屋」もある。人が必死で登っているのに、「リタイヤーされる方はどうぞうちでおやすみ下さい。一泊4000円です。」と叫んでいるのには腹が立った。そのためかゴミの散乱もひどい。缶や瓶がたくさん落ちている。

長崎県から来ていた女性の参加者が下山時に転倒して腕を骨折した。それほどひどくはなかったようだが、富士登山の怖さを思い知った。登山には保険証の準備は必要である。
                                              

武田神社

このツアーの参加者は非常に質が高かった。台風と帰省ラッシュの影響で高速道路が渋滞し、大阪に余分に一泊する羽目になったが、38人の参加者は一糸乱れず整然と行動した。新幹線の座席確保の際に発揮された瞬発力、判断力、行動力は目を見張るばかりだ。これほど統制の取れた他人の集団は滅多にないだろう。

参加者はもちろん福岡市周辺からが多いが、熊本県、宮崎県、山口県からも参加があった。銀行職員の二人組は大変な健脚で午前3時には富士山頂に着いていたそうだ。医科大学助教授は甘木の小児科のお医者さんと同級生だったとのこと。60歳の山口県の中学校長はショルダーバッグで見事に登頂した。

  
足利武三氏の友人のS氏が参加されていた。65歳だ。山と渓谷社の「諸国名山案内九州」を見るとこの夫妻の写真がいくつも掲載されている。日本百名山を夫婦で完登し、二百名山も140山に達しているとのこと。50歳の時に日本百名山を30ほど登っていて、60歳までの10年間で残りを登ったそうだ。娘は大学山岳部に所属し、自ら「私はファミリーハイクの草分けです。」とおっしゃっていた。今回の富士登山は家族5人での参加のようだったが、小学校4年生の孫がリタイヤーしたので両親と下山して、最後は小学校6年生の孫と二人で登頂された。私が武田神社で安産のお守りを買っていたときに、「子供が生まれるのですか。おめでたいことです。」と祝福してもらった。バスガイドなどに対する挨拶も丁寧で、この人は感謝の気持ちがある人だ。こんな老人になりたいものだ。

富士山についての感想は言い尽くせない。深田久弥の「偉大なる通俗」との評を実感したような気がする。登山愛好家であれば富士山に一度は登るべきである。そしてこれをきっかけにして更なる登山を志すべきであろう。富士山より標高の高い山は日本にはないのだから、少なくとも高山病の心配はもうない。私もこれから出来れば毎年夏には大きい登山をしようと思う。来年は、白馬岳、八が岳、尾瀬、屋久島のうちいずれかには行きたい。

「日本百名山」がようやく5山になった。九州の6山のうち、九重山、祖母山、開聞岳には私は登った。阿蘇山、霧島、屋久島はまだである。九州以外の山は新婚旅行で歩いた美ケ原高原に続いて富士山が2番目である。

これから1年に3つずつでも登っていけば、60歳までには80山ぐらいは登れることになる。柴田氏の話を聞いていてそう思った。

登山ツアーというものに初めて参加したが面白かった。仲間がいるというのはいい。この「富士登山の旅」にはぜひ10年以内に子連れで来たい。

富士山頂

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