までら山      〜福岡県朝倉郡杷木町(朝倉市)〜

                 2006年2月5日(日) までら山 単独
            普門院(10:05)→(10:35)までら山(11:00)→(11:20)普門院

 までら山に久しぶりに登ってみた。以前はよく登った山だ。2000年3月にヨシキ、ユリ、たっちゃんで登った。だっちゃんは安川保育所時代のヨシキの友達だ。2001年6月にはしげさんと一緒にユリと登った。ユリはしげさんのバイクに乗って喜んでいた。2002年3月には福岡山の会で登った。この時はまでら山と鳥屋山と二つの山に登った。ヨシキも参加した。懐かしい山だ。
                                              

までら山の案内板


 普門院に駐車する。小春日和でポカポカ陽気だ。柿畑のなかを歩いていく。標識がよく整備されてコースが分かりやすくなっていた。地域の老人クラブの方々の尽力のようだ。30分ほどで山頂のまでら神社上宮に着く。

 山頂は以前と変わらない。神社の拝殿には落書きがあって残念だ。ただ興味深い記録も記されている。この神社は平成10年(1998年)7月に修復された。4月21日に遍座際が行われた際に山頂にいた人達には不思議な出来事が起こったということである。これはまでら山に登るたびに見ているが、なんとも不思議な話である。この山域、地域の歴史と伝説を感じさせる話である。

 下山後に木の丸公園に立ち寄る。この公園には初めて行った。恵蘇八幡宮は朝倉町の総社で、宇佐八幡より勧請して応神天皇を祀っている。西暦673年に斉明天皇・天智天皇を合祀した。社の上に斉明天皇の殯の跡といわれる御陵山がある。以前から関心があったが初めて立ち寄った。よく整備された散策に適した公園だ。

 入り口付近に天智天皇の百人一首の歌「秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」の記念碑がある。

 高台に登っていくと、御陵山がある。中には入れない。ここは斉明天皇を埋葬したところである。

 斉明天皇は661年に新羅・唐に攻められた百済救援のために、当時の都の難波を離れ、5月にこの朝倉橘広庭宮に移られた。この時朝倉社の木を切り払ったために山の神が祟り、斉明天皇も亡くなられたという。日本書紀によると、その葬儀の様子をまでら山の頂上で鬼が見ていたという。この地は斉明天皇が亡くなるまでの75日間の都の跡である。

 この甘木朝倉地方は古代史のふるさとである。神功皇后の伝説もあり、この地に邪馬台国があったという説もある。地域探訪をこれからも続けていきたい。

 今日はまでら山と木の丸公園を訪れた。までら山は杷木町にあり、木の丸公園は朝倉町にある。どちらも3月20日には甘木市と合併して朝倉市になる。この地方はこれまで「甘木朝倉地方」と呼ばれていたが、「朝倉地方」と呼ばれるようになるのだろうか。

 私のハンドルネーム「甘木のあいちゃん」も正式には「朝倉のあいちゃん」と改名すべきだろうが、字数の問題もあり、これまで通りでいきたいと思う。     

までら山登山道から見下ろす杷木の風景


までら山頂


天智天皇歌碑
「秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」


御陵山


木の丸公園を歩く1


木の丸公園を歩く2


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