元越山・国木田独歩      〜大分県佐伯市〜

                 2006年1月3日(火) 元越山  ユリ
              登山口(9:50)→(11:20)元越山(12:10)→(1330)元越山

 憧れていた大分県佐伯市の元越山に登った。この山については大分市のnueさんから話を聞いていた。甘木のふっくんも大分自動車道開通以前に登ったとのこと。福岡山の会の山行計画で今年の11月に「大分県南部の山」が企画されているということも刺激になった。私は4年前に鎮南山に登った。大分県の豊後水道沿岸の都市は、大分市から南に、臼杵市、津久見市、佐伯市と続くが、臼杵の鎮南山に登ったことで、津久見、佐伯に行きたいという思いを強くしていた。

 佐伯は魚が美味しいということで、海産物に目がない私は佐伯に泊まってみたいとも思った。家族旅行で行けないかとも模索したが、ヨシキが受験生なので日程調整が付かず、ユリと二人で日帰りで出かけることになった。
                                              

国木田独歩記念館


 甘木を6時過ぎに出発する。ユリは元気に起きてきた。セブンイレブンで朝食、昼食を購入して高速道路に入る。甘木から津久見まで高速利用だ。まだ暗い中を運転する。ETCの通勤割引を利用する。通勤割引は朝6時〜9時、夕方17時〜20時で100キロ以内は半額ということになっているので、湯布院でいったん降りる。このやり方はCJNさんから学んだ。

 明け方の由布岳の雄姿には感激した。もちろん雪化粧だ。NHK朝ドラの「風のハルカ」で由布岳の姿が繰り返し写されるが、昨年10月に放映が始まって由布岳を見るのは初めてだ。

 別府湾パーキングで朝食休憩する。風が強かった。このあと東九州自動車道に入るが、車が少なくゆうゆう運転することが出来た。ワールドカップの際に建設された大分市の「ビッグアイ」の横を通った。

 津久見で高速道路を降りる。津久見市街をしばらく走る。津久見といえば高校野球の津久見高校、セメント産業、みかんが有名だ。佐伯に向かう道は割合くねくねしていた。

 佐伯市街に入り、国木田独歩記念館に行く。予想通り正月休みで残念だ。この周辺は「歴史と文学の散歩道」として整備されている。のんびり歩いてみたいところだ。記念館の前で写真を撮った。

 この後、元越山に向かう。登山口は平地で民家の近くだった。山口ナンバー、宮崎ナンバーの車が止まっている。遠方から登りに来る人が多いようだ。登山口には山頂まで3.2キロの標示がある。標高582メートルの元越山まで1時間半ほどかかるらしい。

 歩きやすい緩やかな樹林の道だ。傾斜がきつくないし、危険なところもないので親子登山には最適だ。トラバース気味のところもあり、やや緊張感を味わった。標識もこまめにつけられている。山頂近くの1キロは100メートルおきに標示がある。佐伯市役所や地元のボランティアの方の努力に感謝しながら登る。

 山頂に出ると素晴らしい展望だ。リアス式海岸が素晴らしい。登山者は10名ほど。風が強いので、少し下って昼食にする。ユリはサンポー焼き豚ラーメン、私はカップルードルだ。おにぎりも食べる。くつろぎの時間だった。

 リアス式海岸を眺めながらユリが「リアス式海岸は岩手県の三陸海岸にしかないと思っていた」と言う。中学校の地理で習ったということだ。

 私たちの食事が終わると、登山者は減っていた。山頂の記念写真を撮り、国木田独歩の記念碑を見る。立派な記念碑だが、「木立ふるさとづくり元越会 平成12年3月」とある。国木田独歩は佐伯に滞在していた10ヶ月の間に11月と4月の2度、元越山に登っている。山頂からの絶景の感動を名文に綴っている。

 ユリはデジカメでリアス式海岸の風景をカメラに収めたり、動画を撮ったりしていた。私が記念碑の名文を朗読したが、その模様を録画していた。

 下山は滑りやすいところもあるので、慎重に降りる。ロープが張られているので助かる。傾斜が緩やかなので散歩気分で歩くことが出来る。

 登山道の落ち葉が深い。周りにはシダが目立つ。竹林もある。竹林で「竹から生まれたかぐや姫」の話をするとユリは「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり・・・」と竹取物語の冒頭の一節を暗唱し始めた。中学校で習ったということ。ゆっくりと歩いて下山した。元越山は冬向きの山だと思った。歩きやすい気持ちの良い登山だった。出会った登山者は往復合わせて15名ほどだった。

 車に着くと、チラシがフロントガラスにはさんであった。元越山や国木田独歩の資料だ。地元のボランティアの方のようだ。地区の公民館が連絡先になっている。ありがたく拝見した。

 佐伯の街に向かう。海辺の町だが、全体的に土地が潤沢で明るく開放的な感じがした。市内をドライブしたあとで、道の駅やよいで休憩した。弥生町という町があったが、最近佐伯市と合併している。佐伯は宇目、直川など周辺の町村を合併して大きくなっている。この道の駅やよいは物産館や食堂の他、入浴施設や「おさかな館」という淡水水族館もある。

 何か食べようということで、イワシ蒲焼き丼480円を食べた。これはおいしかった。佐伯の海の幸を味わうことができて嬉しい。新しいアスレチック施設があり、ユリはこの遊具に夢中になっていた。おさかな館に入った。入場料が一人300円だ。ユリは熱心に見入っていた。土産に饅頭や津久見みかんを買った。

 帰りは湯布院まで一般道路を走り、湯布院から高速に入ることにした。高速料金節約という意図もあるが、大分県南のドライブを楽しみたいという気持ちもあった。国道10号線の標示を見ると、この辺りから延岡は近い。可愛岳、行縢山などにも登りに来たいと思った。今日は尺間山、彦岳の登山口の近くも通った。この地域への憧れがますます強まった。

 野津町、犬飼町を通り、大分市内に入る。大分市内を走っていた時間は長かったように思う。大分大学の近くを通った。やがて2年前に来た霊山の近くに出て、2年間と同じ道を通って210号線を湯布院に向かう。鶴見岳、由布岳が見える。くじゅうの眺めも良い。ユリはこの眺めを楽しみにしていたが、この頃には眠っていた。「ユリちゃん、くじゅうが見えたよ」と起こすと「うん、見えたね、良かったね」とうわごとのようにつぶやいていた。

 やがて日が暮れ、湯布院に着く前の20分ほどは夜の運転になった。湯布院から高速に入り、玖珠パーキングで休憩を取った。このあとユリは車の後部座席で眠った。19時に帰宅した。家を出て13時間の日帰り小旅行だった。

 一日で佐伯まで出かけたのは大変だったが、元越山に登れて、国木田独歩の世界にも触れることができてよかった。記念館が開いているときにまた来てみたいと思う。帰ったあとで佐伯の話をすると、ななちゃんも関心を示していたので是非家族で来てみたい。

 佐伯のホテルに泊まりたいと考えていたが、日帰りだとお金がかからないのはよい。ETC効果で本来なら7400円の高速料金を4250円に節約できた。ティーダは燃費も良くガソリン代は3000円以内だった。お金をかけずに楽しむことができたということも良かったと思う。

 国木田独歩は明治26年22歳の時に佐伯に10ヶ月間滞在している。佐伯ゆかりの作品を残している。独歩の作品としては『武蔵野』が有名だ。都市化する前の明治の武蔵野の自然を美しく描いている。独歩は佐伯滞在中も下宿していた旧坂本邸(今の記念館)の近くを歩き回っていたらしい。九州滞在中も元越山の他、尺間山、彦岳、阿蘇山などに登っている。自然が好きな作家であったようだ。
 

陽光の中を歩く


登山道


元越山山頂


リアス式海岸をパックに


山頂の独歩記念碑


リアス式海岸


イワシ蒲焼丼


アスレチックで遊ぶ

佐伯市のホームページなどから国木田独歩の資料を紹介する。

城下町佐伯 国木田独歩館
明治時代に建てられた旧坂本永年(さかもとながとし)邸を、当時のまま再現した『城下町佐伯 国木田独歩館』。明治の文豪 国木田独歩は、鶴谷学館(つるやがっかん)教師として10か月余りこの坂本邸に滞在し、佐伯にちなんだ作品を数多くうみだしました。独歩館では、作品の展示はもちろん、手にとって読むこともできます。当時の写真を元に再現された美しい庭園も見逃せません。開館時間は、午前9時から午後5時まで。月曜日が休館です。入館料は、大人200円、小中学生100円です。独歩が過ごした部屋で、当時の日々に思いをはせてみませんか。
問い合わせ先 国木田独歩館
TEL(0972)22-2866 

「佐伯を愛した独歩」
 明治26年9月30日、のちに自然主義の旗手として明治を代表する短編作家となる国木田独歩が、鶴谷学館の教師として赴任してきました。見知らぬ土地、慣れない仕事に疲れた時、独歩の心をなごませたのが佐伯の自然でした。
 滞在はわずか10か月でしたが、当時の日記を読むと、彼がほとんど毎日のように佐伯の野や山を歩き回っていたことがわかります。

「作品に登場した佐伯」
 「今より6、7年前、私はある地方に英語と数学の教師をしていたことがございます。その町に城山というのがあって、大木暗く茂った山で、あまり高くはないが、はなはだ風景に富んでいましたゆえ、私は散歩がてらいつもこの山に登りました。
 頂上には城跡が残っています。高い石垣に蔦葛絡みついて、それが真紅に染まっているあんばいなど、えも言われぬ趣でした。昔は天守閣の建っていた所が平地になって、いつしか姫小松まばらに生い立ち、夏草すき間なく茂り、見るからに昔を偲ばす哀れなさまとなっています。」

 「余が初めて短編小説を書いたのは今より10年以前である。それより更に5、6年前、余は覚束なき英語教師として豊後国佐伯町に1年間滞在してゐるが、当時余は最も熱心なるワーズワース信者で、而してワーズワーズ信者に取りて、佐伯町は実に満目悉くワーズワースの詩篇其物の感があったのである。山に富み、渓流に富み、渓谷の小国小村あり、村落老いて物語多く、実にワーズワース信者をして『マイケル』の2、3は此処彼処に転がってゐさうに思はしめた位である。」

 「自分が真にワーズワースを読んだのは佐伯に居る時で、自分が最も深く自然に動かされたのは、佐伯においてワーズワースを読んだ時である。」

 「彼時の事此時のこと、自分の繰返した逍遥の時を憶ふにつけて、其時自分の眼に刻込まれた風光は、鮮かに現はれて来る。絵を見るよりも鮮明に現はれて来る。秋の空澄みわたって3里へだてつる元越山の半腹から真直に立上る一縷の青烟すら、ありありと眼に浮かんで来る。来数年の間自分は孤独、畏懼、悲哀のかずかずを尽くした。自分は決して幸福な人ではなかった。
 『ああワイの流!林間の逍遥子よ、いかにしばしば我が心汝に振り向きたるよ!』その通りであった。我心はこれらの圧力を加へらるる毎にしばしば番匠河畔の風光を憶った。」

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