英彦山          〜田川郡添田町〜

                2005年10月23日(日) 英彦山  ユリ
英彦山青年の家(9:45)→豊前坊(10:00)→(11:20)北岳(11:25)→(11:45)中岳(12:35)→バードライン→(14:05)青年の家

 ユリは何故か英彦山が好きだ。10月8日がユリの誕生日だが、この前後に何度か登った。2001年が最初なので9歳の時からだ。今年も英彦山に登る計画を立てていたが、中学生になると日程の確保が思うようにいかない。誕生日から2週間遅れての英彦山登山になった。日帰りで英彦山に登り、最近英彦山に出来たスロープカーか、犀川町の「三四郎の森」についでに寄れないかと考えた。今年の3月に東大の「三四郎池」に行ったので、このところ「三四郎の森」にも興味を持つようになった。犀川町は三四郎のモデルとされる漱石の弟子小宮豊隆の出身地だ。

                                              

誕生ケーキ


 8時15分に甘木を出る。秋月のセブンイレブンでおにぎりなどを買う。江川ダムから小石原を通って英彦山に向かう。ユリは車に酔っていた。

 英彦山青年の家に駐車。ここにお世話になるのは何回目だろうか。準備をして歩き始める。青年の家の裏にある種田山頭火句碑で記念撮影。

すべってころんで山がひっそり

 九州自然歩道を登っていく。気持ちの良いコースだ。やがて豊前坊に着く。豊前坊は何度も来ているが、杉田久女の歌碑があるのに気が付いた。

   橡の実の つぶて嵐や 豊前坊

 杉田久女は明治23年鹿児島生まれで、明治42年に旧小倉中学校教諭の杉田宇内と結婚、以後昭和20年10月、死去する3ヶ月前まで旧小倉市で過ごしている。杉田久女は英彦山には何度も登っているらしい。英彦山を詠んだ句として有名なものは次の句である。「谺」は「こだま」と読む。

   谺して山ほととぎすほしいまま

 豊前坊から急な坂を登る。20人ほどのグループと一緒に登る。犬を連れているのでユリが嫌がる。体力が衰えている私は息が切れる。ユリの方が元気だ。鎖場はユリは小さい頃は怖がっていたが、今回は難なく通った。成長の跡が嬉しい。英彦山のこのルートは適度の恐怖感が心地よい。

 やがて北岳に着く。山頂で三脚を使って記念撮影。このあと中岳に向かうが、途中で先ほどのグループを追い越した。

 今日の英彦山は微妙な天気だった。雨が降る恐れはないが、晴れたり曇ったりだ。陽が差すと暑いが、陽が隠れると寒い。体温調節が難しい。

 中岳の山頂には人が多かった。親子で踏む3年ぶりの山頂だ。標柱の所で記念撮影をするが、その真下で食事をしている人がいた。写真撮影をする人が次々とやってくるので、ばつが悪かったのではないだろうか。

 テーブルで食事をする。お湯を沸かし、ユリはうまかっちゃんを作る。私はカップヌードルだ。セブンイレブンのお握りもおいしい。食後には私はコーヒーを飲む。寒いので温かい食事やコーヒーがうれしい。のんびりとくつろいだ。

 下山はバードラインを下る。奉幣殿との分岐を曲がってしばらくすると、犬が走ってきた。犬連れの登山者が誰も歩いていないと思って放したらしい。私とユリを認知してリードしていたが、私たちが道を譲るとまた放していた。犬がなかなかリードに従わず、つないで歩くのは大変そうだった。しかしそんな指導困難な犬を登山者の多い英彦山に連れてくるべきかどうかという問題がある。

 この犬連れ登山者以外バードラインでは誰とも会わなかった。静かな下山を楽しむことができたが、ユリが木で頭を打ったり、滑って転んで尻餅をついたりした。ユリは意外に注意力が足りないようだ。
 スキー場のところに降りてきて、青年の家に到着する。青年の家から眺めると英彦山の紅葉はこれからのようだ。青年の家に「わくど岩」があり、説明板もあった。英彦山には大きなカエルが岩になったという伝説がある。

 帰途に着く。ユリは「英彦山は歩いて気持ちいいから好き」と言っていた。帰りに英彦山に出来たばかりのスロープカーを見に行った。麓から奉幣殿まで行くことが出来るらしい。今度乗ってみたいと思った。
 行きが江川経由でユリが車酔いしたので、帰りは小石原から杷木に降りた。杷木からは国道386号を走った。行きとそれほど時間は変わらずに16時には帰宅することが出来た。ドライブを楽しむことができた。

 帰りにしゃくなげ荘か嘉穂の湯で入浴したいとも思ったが、断念した。犀川町の三四郎の森も次回の楽しみにしたい。ユリが中学生になってもまだついてきてくれるというのは嬉しいことだ。楽しい秋の一日だった。

 参考までに杉田久女の英彦山に関する文章を載せる。  

青年の家裏の種田山頭火句碑
「すべってころんで山がひっそり」


豊前坊の杉田久女句碑
「橡の実の つぶて嵐や 豊前坊」


北岳山頂


英彦山中岳山頂


うまかっちゃんを食べる


温かいカップ麺が美味しい


バードラインを下る


英彦山の紅葉はこれから


青年の家のわくど岩


スロープカー

英彦山に登る         杉田久女

 私は今年英彦山に五六度登った。
 或人々は彦山はつまらぬ山だという。
 成程銅の大鳥居から四十二丁の上宮(しょうぐう)迄は樹海の中を登りつめるので、見はらしはなし、谿流は添わず、大英彦全体を眺める事の出来ない凹凸の多い山なので、ひととおりの登山丈では、一向変化のないつまらぬ山と思えるのもむりはない。
 だが、彦山に一夏を過して、古老から彦山伝説のかずかずをきかせられ、或は絶頂の三山を高嶺づたいによじ、或は豊前坊から北岳の嶮をよじ、或は南岳の岸壁を下りて妙義にも比すべき巨岩の林立を谷間に仰ぎ等した私は、彦山というものにいつか異常な興味と親しみを見出す様になってしまった。
 彦山には雲仙程の雄大も、国際的なハイカラ味も近代的な設備もない。彦山は天狗の出そうな感じ、怪奇な伝説の山である。彦山を代表するものは山伏道と、かの平民毛谷村六助とである。彦山権現の御加護によってかたき討ちの助太刀をした六助の姿。まずこんなものの古くさい匂いが英彦山のかもす空気であろう。
 三千八百坊が伽藍をつらねていたという名高い霊場も今はおとろえ切って、わずかに山腹の石段町に百余坊。それは皆山伏の末えいで、旅館になり、農になり或は葛根をほってたつきとしている。山坊の跡は石段が峰々谷々に今尚みちていて、田となり畠となり、全村には筧が縦横にかけわたされてそうそうのねをたてている。
 さて私は彦山へはいつも大抵一人で登るのだった。
 奉幣殿の上からは奥深い樹海の道で、すぐ目の前に見えていた遍路たちもいつか木隠れに遠ざかってしまうと、全くの無人境を私は一歩々々孤りで辿るのである。
 前を見ても横を見ても杉の立木ばかり。めまぐるしい文化と騒音とにとりまかれていきている息づまる様な人間界の圧迫感もここではなく、大自然の深い呼吸の中に絶対の! 孤独感を味わう。だが彦山を歩いている時の私は、何のくらさも淋しさもない。魂の静かさが、天地と共にぴたりとふれあっている。自然のふところに抱かるる和らぎ、じつに爽快な孤独の心地なのである。ただもう澄みきった心地で、霧をながめ、鳥のねをきき、或は路傍の高山植物の美しさにみとれ、或は地上の落葉のいろいろに目を転じつつ一歩々々とよじ登ってゆく。こうした山中の体験の楽しさに二度三度と案内しった同じ山へ幾度も私は魅せられるように登って見た。だがさすがに呑気な其私も、十一月はじめ只ひとりで英彦へ登った時にはいささか閉口した。
 山上の紅葉はもう散ってしまっていたので、登山客は殆どなく、その日の正午大鳥居で自動車を下りたものはたった私一人だった。いつもの通り奉幣殿上のくらい杉木立にさしかかった時には、どういうものか、女一人で、人気もない山道を登ってゆくのはあんまり大胆な、とつい気後れがし出すと、坂の中途で行ったりかえったり、立ちすくんでしまった。ぶきみな無人の静寂。深山の精といった感じがひしひし私を威圧する。思わずたじたじと十歩程もと来た方へ下りかけた私は、いや待て、折角ここ迄きて、上宮へのぼらず帰るのは残念だ。登ろう! こう心中に叫んで、祈願をこめつつ重い足をひいてよじ出した。三四丁こわいまぎれにとっとと上るとふいに頭上の木立のあたりから人間の笑い声がきこえてくる。急に元気が出て歩み出すと、下りてくる若い夫婦者に出逢った。その時の路傍の人のなつかしさ嬉しさ。お互に笑顔と声をかけあって、直また上下に別れたが、不思議にそれからは元気が出て、一と息にどんどん登る事が出来たが絶頂で禰宜にあう時迄は遂に一人にもあわなかった。深い落葉の道をさっささっさと歩みつづけた。中宮附近迄はまだ紅葉がのこっていた。もう何の怖ろしさもなくいつものような澄みきった心境で深山の大気を自由に呼吸することが出来た。
 絶頂にたどりつくと、禰宜が出てきて、「よくお孤りでお登りでしたね。あなたで今日は朝から十人目です」という。神前にはまだ四五枚の紅葉が残っていたが、見渡す谷も南岳も北岳も悉く枯木の眺めとなってその上に、灰色の初冬の山々がつらなり遥かに九州アルプスの盟主久住が初雪をかぶってそびえているのを見出した時、私の心は急にはちきれる程の嬉しさでおどり上った。禰宜は雲仙を指し阿蘇を教えてくれた。お台場の如き偉大なあその外輪山をその噴煙をはるかに英彦の絶頂からはじめて眺めえた時の喜び! そして根子岳も、霧島も全九州の名山を悉く今日こそはじめて完全に眺めえた興奮に、私の幽うつや不安は皆けし飛んでしまった。
 上宮ではつい二三日前に初雪が降ったと、禰宜は私を霧囲いの傍の天水桶の辺につれていって残りの雪片をさし示した。
 顔見知りの茶店の亭主は、すぐかまの下を焚き出した。ここから見る久住は一層すばらしい。私は禰宜さんと一緒にあつい番茶をすすり、六助餅をたべながら、霧氷の話をきいた。
 日輪は曇って、まだ二時過ぎたばかりなのに山頂は夕暮のようにうそ寒く、四山は枯色をしていかにも初冬が眼の前に迫ってきたのを感じさせられる。人なつかしげに語る茶屋男と禰宜さんたった二人を山上に残して私はかけ下りる様にとっとと下山した。十一月の末にはもう山上の日子(ひこ)の宮には禰宜も登らず、茶店もとじてしまうそうな。(英彦山は天照大神のみ子天忍穂耳尊天降りの地という)
 私は三時に奉幣殿に下りてきて、今年最終の英彦山詣りを無事にすました。
 天狗のすむという豊前坊の窟。鷹巣原の枯すすき。とろろ汁。春は鶯谷の鶯。山ほととぎす。彦山葛。土の鈴。彦山名物はざっとこんなものである。
(附記)彦山はほんとによい山だ。山陽も、「彦山真に秀彦也」とうたっている。之は山陽の誇張丈でなく、山陽は耶馬渓から守実ごしに、彦山の紅葉を賞し、彦山の秀彦たるところをきっと感じたに違いない。南岳をよじる時私は、たしかにそう感じた。南岳の原生林をぬける時の深山らしい感じは、上宮道にはない。三山をきわめてはじめて彦山の真価はわかる。

(発表誌年月未詳)

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