船小屋温泉散歩           〜福岡県筑後市〜
                   2005年7月

  船小屋温泉にはこれまで縁がなかった。209号線を通って筑後市から瀬高、大牟田に行く際に通り過ぎていたが、泊まったことや入浴したことはなかった。今回初めて宿泊することができた。私は旅先での朝の散策が好きだ。伊豆の修善寺温泉で早朝に夏目漱石の詩碑を見に行ったことなど懐かしい。今回も朝の1時間ほど船小屋温泉の周辺を歩いてみた。
                                            

船小屋温泉の朝市

 船小屋温泉は地理的には筑後市と瀬高町の境にある。間を矢部川が流れている。近くにJRの船小屋駅がある。鹿児島本線を利用すると、船小屋温泉に行くことは容易だ。
 案内板がある。それを見ると船小屋温泉には、夏目漱石の記念碑、種田山頭火の記念碑、昭和天皇の記念碑があるようだ。漱石は明治29年、山頭火は昭和5年、昭和天皇は昭和24年に船小屋を訪れている。

1 夏目漱石
 
  ひやひやと雲が来るなり温泉の二階

 この漱石の句は明治29年9月25日に正岡子規に送られている。この句碑は平成2年建立というから新しいものである。
漱石は明治29年4月に五校教授として熊本に来ている。それから4年あまりを熊本で過ごす。この年6月に中根鏡子と結婚、9月に夫人同伴で約一週間九州各地を旅行している。博多、箱崎八幡、香椎宮、太宰府、観世音寺、都府楼、二日市温泉、梅林寺、、船小屋温泉、日奈久温泉等を回っている。この旅行中にたくさんの俳句を詠んでいる。船小屋温泉に来たのはこのときらしい。
 『漱石全集』より旅行中の俳句を紹介する。

  初秋の千本の松動きけり(博多公園)  
鹹はゆき露にぬれたる鳥居哉(箱崎八幡)
秋立つや千早古る世の杉ありて(香椎宮)
見上げたる尾の上に秋の松高し(天拝山)
反橋の小さく見ゆる芙蓉哉(太宰府天神)
古りけりな道風の額秋の風(観世音寺)
鴫立つや礎残る事五十(都府楼)
温泉の町や踊ると見えてさんざめく(二日市温泉)
碧巖を提唱す山内の夜ぞ長き(梅林寺)

2 種田山頭火

  雲の如く行き
  風の如く歩み
  水の如く去る

 この種田山頭火の自由律俳句は昭和5年12月に山頭火が羽犬塚付近を歩いたときの作品らしい。船小屋大橋のたもとにこの句碑はある。これも昭和62年9月の建立である。

3 昭和天皇

 船小屋温泉の記念碑の中で一際目立つのは「天皇巡幸記念碑」である。終戦後、天皇の人間宣言が出され、昭和天皇は全国各地を巡幸されるが、昭和24年には九州巡幸が行われた。5月28日に船小屋温泉の樋口軒に宿泊なさっているが、戦災者、引き揚げ者など5万人が出迎えたと碑には記されている。当時は蛍が多く、天皇陛下が宿泊なさっていた部屋の中まで蛍が舞い込んできたと伝えられている。
 船小屋温泉内の公園で午前6時から朝市が開かれていた。野菜、卵、果物が売られていた。地域の人たちが集っている風景はのどかなものだった。   

夏目漱石記念碑(左端)
ひやひやと雲が来るなり温泉の二階


種田山頭火記念碑
雲の如く行き風の如く歩み水の如く去る

昭和天皇記念碑


 船小屋が現在のような温泉郷となったのは、明治21年に「船小屋鉱泉合資会社」が設立され、鉱泉浴場が開発されてからです。鉱泉の効能と豊かな自然環境が広く知られるようになり、県南唯一の温泉地として県外からも多くの人が訪れ、発展しました。

 船小屋が温泉地としてにぎわいを見せはじめたころ、文豪・夏目漱石もこの地に立ち寄っています。明治29年、熊本第五高等学校に赴任した漱石は、結婚したばかりの妻・鏡子といっしょに、福岡に住む鏡子の叔父を訪ねる途中、船小屋に宿泊しました。このとき詠んだ俳句が「正岡子規へ送りたる句稿その十七 九月二十五日」に書かれています。

ひやひやと雲が来るなり温泉の二階

 漱石が宿泊した日付は不明ですが、子規へ送った9月25日以前のまだ残暑の残るころ、清水山あたりから湧(わ)き出る一雨きそうな雲の流れを見て詠んだのではないかと、考えられます。この漱石の句碑は、船小屋鉱泉場の北側に建っています。

(広報ちくご(平成13年9月号)より)

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