龍田山・五高記念館           〜熊本市〜

               2005年4月17日(日) 龍田山  ユリ
熊本大学(12:30)→(13:00)龍田山(13:20)→(13:50)熊本大学 

 熊本市は夏目漱石が2年4ヶ月過ごした街ということで、市内の内坪井旧居が記念館として保存されている。ここを中心にした「くまもと漱石倶楽部」という団体がある。会費は年に千円、会報発行の他、総会や講演会などが年に四回ほど開催される。私も数年前から入会しているが、この会の行事に参加したことはない。総会については毎年鶴見岳一気登山と重なっていた。今年は他の行事との重なりがなく、都合がついたので参加することにした。
                                              

五高記念館


 熊本には昨年の夏の終わり以降何度も出かけている。熊本市にいる私の母が入院したためだ。12月に退院したが、大事を取る必要はあるので、できるだけ出かけるようにしている。今年8回目の熊本行きになった。中学校に入学したばかりのユリもついてくるという。見舞いは午後からということで、午前中に漱石倶楽部の集まりに出て、熊本大学の裏山の龍田山に登ろうと考えた。

 6時半にユリを起こし、7時15分に出発する。朝の運転は道路事情がよく、予定よりも早く着いた。熊本市の実家に立ち寄り、ななちゃんが作ったお総菜を渡したあとで、会場の熊本大学に向かう。

 それでも早く着いたので、熊本大学の近くにある私の出身高校を訪れた。玄関前の佐々友房銅像の前で写真を撮り、校内を一周した。野球部、テニス部など色々な部が活動していた。私がここを卒業して30年になる。感慨無量だ。

 熊本大学に着くと、ゲートで用件を告げ、駐車券をもらうようになっている。会場の五高記念館に行く。熊本大学の前身は旧制の第五高等学校だ。今日は総会の前に五高記念館の見学会が催される。年配の方が多いのでユリは気後れして、記念館の前のベンチで一人読書に耽っていた。

 赤煉瓦の本館は明治22年(1889年)に造られている。100年以上の風雪に耐え、平成5年(1993年)10月より五高記念館として一般公開されるようになった。ここは土日のみの会館で入場無料だ。夏目漱石やラフカディオ・ハーンは五高で英語を教えていた。寺田寅彦、木下順二、梅崎春生などの学者・文学者、池田勇人、佐藤栄作などの政治家、五高出身の著名人は多い。五高から東大に進んだケースが多いようだ。なかなか風情のある建物だった。

 見学会のあと、総会行事。くまもと漱石倶楽部160名の会員のうち60名ほどが参加していた。中村青史さんの小天温泉についての講演があった。夏目鏡子の「漱石の思い出」のこと、漱石の小天行きは一度だけだろうか、『草枕』の那美さんのモデルの前田ツナが東京に出た1年後に『草枕』が発表されている。漱石が大正5年に亡くなるまで、漱石との間には何も行き来がなかったのだろうかといった話だった。

 熊本大学の北隣のセブンイレブンでソーメンやお握りを買って、龍田山に出かける。車道の坂道を登っていくと、徳永直文学碑がある。徳永直は熊本市生まれのプロレタリア文学作家。明治32年に生まれ、昭和33年に亡くなった。

 ここから急な坂を登っていく。やがて車止めのゲートがあり、舗装された林道が続くが、風情のある森林浴になる。豊国台公園から城見坂展望所を経て、龍田山の山頂に出る。標高152メートルだが、熊本市内の展望はなかなかのものだ。

 山頂は広々としていて気持ちがいい。自然公園になっていて、奥行きがある。ここでソーメンなどを食べる。ユリはセブンイレブンのソーメンがとても気に入っていたようだった。山頂には「龍田山」の標識はない。中央部に昭和天皇展望碑がある。昭和34年4月14日に昭和天皇がここに立ったということだ。

 下山時に豊国台公園に寄る。加藤清正が豊臣秀吉を偲んで建てたという豊国廟跡はどこかよく分からなかった。ここには展望台や鉄棒があり、ユリは展望台に駆け上がり、鉄棒にぶら下がって「お父さん、逆上がりできる?」「前回りできる?」と舞い上がっていた。

 ラフカディオ・ハーンゆかりの石仏にも立ち寄った。「小峯墓地」という墓の中にあるが、ハーンが気に入っていた場所らしく風情があった。ここは熊大の裏になる。この石仏は「鼻かけ地蔵」と呼ばれている。ハーンは暇を見つけてはここに足を運び、石仏と語るのが好きだったとのことである。

 熊本大学の構内には史跡や文学碑がいくつもある。夏目漱石とラフカディオ・ハーンの記念碑を訪ねてみた。ハーンは明治24年に五高に赴任している。漱石は明治29年に着任している。漱石はハーンのあとを追いかけるように、そののち東京帝国大学でも英文学の講師を務めている。漱石が五高の創立記念日に読んだ祝辞の一節を刻んだ石碑が建てられている。

 「夫レ教育ハ建国ノ基礎ニシテ 師弟ノ和熟ハ育英ノ大本タリ」 明治三十年十月十日 

 ユリは無邪気に、漱石の銅像の姿勢を真似たりしていた。構内では学生達が自転車で往来していた。止めてある自転車には福岡県や大分県の高校のステッカーが貼られているものが目立った。熊本県の高校生にとって熊本大学の入学試験を突破するのはなかなか困難なようだ。

 私は龍田山の麓で高校時代を過ごした。中腹の豊国台はマラソンのコースだった。そののち1994年3月に龍田山に登った。当時3歳のヨシキ連れだった。ユリは連れてきていない。高校時代の恩師の先生を訪ねて、先生に連れられて登った。それから11年が過ぎた。3歳のヨシキは中学3年生になっている。隔世の感である。

 龍田山には四方からハイキングコースが延びている。JR龍田口駅から歩いて登るコースもあるようだ。一日かけてあれこれ歩いてみたいものだ。老後の楽しみになるかもしれない。  

五高記念館前

ラフカディオ・ハーン記念碑

夏目漱石記念碑

ハーンの「鼻かけ地蔵」

徳永直文学碑

龍田山の緑のシャワー

広い龍田山頂

龍田山頂の昭和天皇記念碑

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1994年の龍田山