夏目漱石『草枕』ハイキングコース  〜熊本市/天水町〜

        2005年1月10日(月) 「夏目漱石」草枕ハイキングコース  ユリ
鎌研坂(9:50)→峠の茶屋公園→(11:40)野出峠の茶屋(12:00)→(12:50)前田家墓地(13:15)→(13:45)漱石館・前田家別邸(14:10)→(14:20)草枕温泉てんすい

 夏目漱石は、明治30年(1897年)の大晦日に熊本市の岳林寺から玉名郡天水町の小天温泉まで歩いている。この15.8キロの道のりはハイキングコースとして整備されている。この旅は小説『草枕』の素材となっているので、これは「草枕ハイキングコース」と呼ばれている。このときに夏目漱石は地元の名士前田案山子の別邸に数日間逗留している。『草枕』にはその時の体験も描かれている。 
                                                   

鎌研坂


 今年2005年は前田案山子が亡くなって100年になる。その記念事業ということで、「『草枕』文化祭」が天水町で催されている。これは「くまもと文化のまちづくり事業」の一環ということで大がかりな事業だ。「草枕美術展」「記念講演会」「吟行」「俳句展」などだが、「『草枕』の旅体験ハイキング」がその中に企画された。草枕温泉てんすいに9時に集合して、バスで鎌研坂に移動して、前田家別邸までの13キロを4時間で歩くというものだ。

 この道は1995年の正月に初めて歩いた。そのころは標識の整備が十分でなかったが、その後、こまめに指導標がつけられて、迷わずに歩くことができるようになった。2002年には当時小学校6年生のヨシキとも歩いた。今回は小学校6年生のユリと二人で参加することにした。天水町役場に電話して申し込んだ。

 当日は7時に甘木を出発した。甘木インターから菊水インターまで高速道路利用。いつも熊本に帰省する際には菊水インターから1時間かかっているが、天水町小天はその半ばぐらいにあたる。8時半過ぎには草枕温泉てんすいに到着した。

 天水町役場の方が交通整理や受付をなさっている。参加費は大人千円、子供五百円。タオルと草枕温泉てんすいの入浴券をもらった。参加者が次々に到着する。開会式のあと、バス2台に分譲して出発する。参加者はおよそ100名ほど。

 鎌研坂の上の漱石句碑のところに到着する。ここでバスを降りて、林道を迂回して鎌研坂の記念碑のところから登り始める。鎌研坂で写真を撮っていたら役場の方が親切に親子二人での写真を撮って下さった。ここには「天水町漱石館まで13.4キロ」とある。私が今まで歩いた草枕ハイキングコースは岳林寺からなので、今日はそれよりも2キロあまり短い。

 鎌研坂は狭い自然歩道なので、一列になって登る。『草枕』の中で「山路を登りながらこう考えた」の「山路」とされる坂である。写真撮影で遅れた私たちは最後尾を歩く。気持ちのよい登りだが、左側の急斜面に電気製品がたくさん捨てられていた。これは興ざめだった。

 鎌研坂を登り詰めると、先ほどバスを降りた漱石句碑がある。みなさんは見向きもせずに歩かれているが私たちは記念撮影をする。

   木瓜咲くや漱石拙を守るべく

 ここを過ぎるとすぐに峠の茶屋公園。最初の休憩になる。店も開いていた。おいしそうなものが色々置いてある。ここでいきなりだんごを買って食べる。この公園の中にも句碑がある。『草枕』作中の句だということだ。

   春風や惟然が耳に馬の鈴

 峠の茶屋公園の上のほうを遊歩道が通っていることを私はこれまで知らなかった。いつも車道沿いに歩いていた。新しくつけられた道なのかどうか、初めてこの道を歩いた。

 金峰山登山口の峠の茶屋を過ぎると、緩やかな下りになる。竹林が目立つ。ユリとかぐや姫の話などをしながら歩く。みなさんの歩いている様子を見て、ユリは「大人の遠足」みたいだと言っていた。

 追分のバス停のところから野出を目指す。ここから登り坂になる。石畳の道の入口にも漱石の句碑がある。

   家を出て師走の雨に合羽哉 

 石畳の道は風情がある。これを登り終わると車道になる。野手の集落まで結構長く続く。今日の行程ではここが苦しいところだ。左側には金峰山がそびえている。二の岳の登山口付近で自然を愛する会の人たちに会った。二の岳、三の岳に登られたようだ。

 野出の峠の茶屋に着く。ここは峠の茶屋公園と違って店はなくひっそりとしている。逆に言うと、静かに漱石の旅情に浸ることができる。ここで大休止。ここからは海が見える。干拓地もはっきりと見下ろすことができる。

   天草の後ろに寒き入日かな

 この記念碑の前で記念撮影。百人ほどの参加者で写真を撮る人が意外に少ない感じがした。全員集まって写真を撮る。役場の方と熊本日々新聞社の方が撮られていた。

 ここからの自然歩道は気持ちよく歩くことができる。以前に比べて標識が整備されていた。みかん畑が多い。干拓地を見ながらユリが「津波が押し寄せたらひとたまりもないね」と先日のインドネシアスマトラ島沖津波のことを頭に置いて話していたら、隣を歩いていた方が「島原大変肥後迷惑」の話をして下さった。二百年前の雲仙の噴火のことである。ユリは修学旅行で雲仙岳復興記念館を訪れていたので、この話に興味を持っていた。

 車道に出るとすぐに前田家本邸跡に着く。ここには前田家の墓地もある。隣は八久保公民館だ。ここで昼食休憩。お墓の近くでユリと二人でカップヌードルを食べる。昼食の時間は25分しかなかった。遅れて到着した人は何分食事の時間があったのだろうかと思った。

 これからこのハイキングコース終点の漱石館を目指す。以前来たときよりも道が広くなっていた。漱石館は保存整備工事中で立ち入り禁止になっていた。前田家別邸で現地見学、説明が行われた。『草枕』の大半は那古井の里での話だ。画工はこの前田家別邸で長い時間を過ごしている。漱石も年末年始の1週間ほどここに滞在している。工事が完成して一般に公開されるのを楽しみにしている。

 解散後に車を止めている草枕温泉てんすいに戻る。登り坂を15分ほど頑張って歩く。昼下がりの草枕温泉てんすいは多くの入浴客で賑わっていた。入浴は次の楽しみにして、このあと熊本市の実家に立ち寄り、おじいちゃんおばあちゃんに孫の顔を見せて、18時には帰宅した。

 今回の行事について100人もの人が一斉に草枕ハイキングコースを歩いたわけだが、色々な人がいた。前田家の墓からリタイヤーして温泉に向かった人たちもいた。交通整理など、役場の人たちの苦労は大変だったと思う。天水町はやがて玉名市と合併して新玉名市が誕生する。草枕ハイキングコースは熊本市と玉名市になってしまう。天水町は消えても『草枕』の那古井の里は永遠に残ると思う。来年2006年は小説『草枕』が発表されて100年になる。節目の年だ。また何らかの行事が催されるのだろうか。

  

鎌研坂を登る


鎌研坂の不法投棄


「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」


「春風や惟然が耳に馬の鈴」


あるく


石畳の道の入口
「家を出て師走の雨に合羽哉」


野出峠の茶屋
「天草の後ろに寒き入日かな」


野出峠の茶屋でくつろぐ


ハイキングコースから見下ろす干拓地


みかんの木


前田家の墓


前田家別邸で説明を聞く


説明を聞いている人たち


草枕温泉てんすい


 この3週間後に天水町老人憩いの家で『草枕』講演会が開催された。この日は熊本の実家に顔を出して、そのあとで天水町に向かった。ユリもついてきたが、講演中はロビーでお絵かきなどをして待っていた。講師は山梨県立女子短期大学の吉川豊子教授、「漱石の風呂」など夏目漱石関係の論文がある。

 吉川教授は26年前の1979年に小天に来て那古井館に泊まったそうだ。漱石の作品論をそのこめろやっていて、天水のひなびた様子が新鮮に感じられたそうだ。漱石がロンドンで「小天行きを思い出す」「日本流の旅がしたい」と手紙に書いたように、小天は漱石にとってユートピアに感じられていたようである。

 漱石の作品には温泉がよく出てくる。『坊っちゃん』の松山道後温泉、『二百十日』の阿蘇内牧温泉、『思い出すことなど』の伊豆修善寺温泉、『明暗』の神奈川県湯河原温泉などだが、小天温泉が最も自然の中にある温泉なので、漱石にとっては印象深かったのだろうと思われる。

 そんな話が印象に残った。参加者は百名ほどだった。講演会終了後すぐに帰途についた。なお、後日天水町のホームページにこの草枕ハイキングのことがアップされていた。

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