沖縄家族旅行           2004年7月

 家族で沖縄に旅行することになった。飛行機での家族旅行は1997年夏の東北以来である。私は1998年3月に職場の同僚と沖縄を訪れたことがある。三日間だった。平和祈念公園、ひめゆりの塔などの南部戦跡巡り、玉泉洞、佐喜眞美術館、万座毛などを周り、那覇市街で焼き物巡りなどをした。沖縄にまだ都市モノレールがないころだった。それから6年ぶりだが、家族は全員初めてである。

 日程がどうしても二日間しかとれない。沖縄旅行のパックはたいてい3日間か4日間になっている。ユリが「沖縄で二日は悲しい」と嘆いている。しかし福岡空港から一気に飛行機で行けるので、二日間でも現地で行動できる時間は長い。一日目の11時から二日目の18時まで動けるので、計画をしっかり立てて行動することにした。     
                                              

沖縄料理


 早起きして7時に家を出る。福岡空港まで車で行き、近くのパーキングに駐車する。ここは二日間で1400円だ。空港まで歩くと遠いので送迎してくれる。搭乗手続きを済ませ、サンドイッチなどの朝食を取る。7年ぶりに飛行機に乗るのでヨシキもユリも舞い上がっている。

 台風10号が近づいているとのことで緊張していたが、台風のスピードが遅く、来襲は我々が沖縄から戻った後になった。沖縄旅行中は天気に恵まれた。飛行機も往復ともに揺れることなく快適なフライトだった。

 離着陸時は緊張するが、空の上では快適だ。那覇空港に降りて、シャトルバスで日産レンタカーに連れて行かれる。鉄道が那覇市内のモノレールしかない沖縄の観光客は大半がレンタカー利用だ。ここで赤い車体のマーチを借用する。パック料金でこの借用は無料になっている。

 まず、南部戦跡めぐりに出かける。南に向かって走る。豊見城村から糸満市に入る。暑い中沖縄の子供達が自転車などで動き回っている姿が印象的だった。

 琉球ガラス村に寄る。ここの食堂で沖縄そばやゴーヤチャンプルなどを食べる。きれいなガラスのコップに水が入れられていた。店の人は鮮やかな琉球衣装だった。

 平和祈念公園に向かう。広々としたところだ。平和の礎(いしじ)に寄り、黙祷する。1995年に造られた。戦争終結50年を記念して沖縄戦で亡くなった全ての人の名を刻んだものである。

 平和記念資料館は6年前に来たときは素朴な建物だったが、立派に建て替えられていた。沖縄戦に関する資料が展示されている。展望台からは平和の礎を見渡すことができる。ここで資料館に関する冊子を購入した。

 このあとひめゆりの塔に向かう。ひめゆり平和記念資料館の中を歩く。「ひめゆりの塔」は映画になったりしてよく知られている。私も幼少期にマンガ雑誌で知った記憶がある。ヨシキやユリのためにもここは見ておいた方がいいということで訪れたわけである。

 ひめゆりの塔から今日の宿の宜野湾市のラグナガーデンホテルを目指す。高速道路に入り、西原インターで降りる。海岸の方に向かうが、沖縄の道路は坂道が多いことに気付く。

 ラグナガーデンホテルは海岸沿いに建っていた。16時半にチェックイン。周りは広々としていて開放感がある。我々の部屋は5階。ベッドが4つ並んでいた。

 しばらく休憩した後で、ホテルのプールに泳ぎに行く。室内プールと屋外のプールがある。水遊びをしてのんびりと休憩していた。ウォータースライダーがあるのでユリは何度も滑っていた。楽しそうだった。ホテルのプールから海岸に出ることができた。歩いてトロピカルビーチと呼ばれる砂浜まで行った。多くの海水浴客が居た。夕方の海辺の散歩は気持ちがよかった。

 夕食はホテルの外でと考えていたが、泳ぎ疲れたユリが空腹に襲われて「早く食べたい」というので、ホテル内の洋食レストランで食べることになった。ウェイトレスの皿の片づけ方が名人芸で感心していた。オリオンビールをおいしく飲んだ。沖縄ではオリオンビールはビールのシェアの9割を占めるという。

 食後にタクシーで外出する。ユリがナイトフリーマーケットに行きたいというので出かけたが、平日はあまり店が出ていなかった。それでヨシキとユリはアメリカンビレッジの観覧車に乗った。

 夜出かけたときのタクシーの運転手さんが往復で対照的だったのが印象に残った。行きの運転手さんは無口だったが、帰りは口べただが朴訥な人だった。いろいろと沖縄の話をしてくれた。

 帰った後でホテルのサービスで琉球衣装を着ての写真撮影をした。往時の琉球王族になった気分だった。

 翌朝は早く起きた。ななちゃんとヨシキは和食バイキングへ、ユリと私は洋食バイキングへ出かけた。バイキングは混雑するとイライラするので難しいところがある。ゴーヤの他、パインジュースやマンゴジュースが並んでいて沖縄らしいメニューだった。

 食事を済ませて、8時半にはチェックアウト。今日は海の見える場所のドライブということで沖縄三大ちゅら岬(美しい岬)巡りをすることになった。宜野湾市から嘉手納基地の近くを通って海岸線のドライブだ。

 最初は残波岬に行く。サトウキビ畑の中を走ってたどり着いた。海がとてもきれいだ。白い灯台がある。文学碑が建っていたので見てみると「おもろそうし」の碑のようだ。「おもろそうし」は沖縄・奄美に伝わる古代歌謡である。16世紀から17世紀に成立したとされる。

 特牛節(残波岬)について「大にし村(読谷の古称)の強い牡牛は、なじちゃの草が大好きであるが、われわれ若者は、美しい花(美童)が大好きである。」という内容のようだ。「500年前南蛮貿易が盛んだった頃、歌や踊りの村として賑わい、毛遊びも盛んだった。」と解説がある。

 残波岬には沖縄戦の記憶もある。「1945年4月1日、米軍はこの岬を目印に、南側の読谷村海岸に激しい砲撃の上殺到、上陸した。「持久戦」を目的とする日本軍はまったく無抵抗で、住民を放置し、宜野湾より南に撤退していた。ここに、多数の住民を巻き込み、集団自決を強要した悲惨な沖縄戦が始まった。」と解説が記されていた。

 きれいな海を眺めながら物思いに耽っていた。この岬には観光客など人が少なかった。静かだった。
 海岸線のドライブを続けて真栄田岬に達する。コバルトブルーの海がとてもきれいだ。狭い駐車場は車でいっぱいだった。ここではマリンスポーツに興じる人たちがいた。

 さらに海辺を走って万座毛に到着する。ここは広い駐車場や土産物屋さんが並んでいる。観光バスが止まっていてガイドさんが案内している。万座毛の岸壁はなかなか迫力があった。万座ビーチホテルが見える。ななちゃんはホテルをバックにカメラに収まっていた。

 万座ビーチホテルに寄ってお茶を飲む。ここのコーヒーやケーキの値段はべらぼうだ。1984年夏に公開された薬師丸ひろ子主演の映画『メイン・テーマ』は沖縄やこのホテルが舞台になっている。万座ビーチホテルはこのころオープンしている。旅行から帰った後で映画を見直す機会を得た。今回の旅行と20年前の記憶を重ね合わせて懐かしく見た。

 このあと高速道路に入り、那覇まで引き返す。那覇空港まで行ってレンタカーを返却した。空港のレストハウスで昼食を取り、都市モノレールで首里城見学に出かける。モノレールからの車窓の風景はなかなかのもので、高いところから那覇市街地を眺めることができた。

 30分ほど乗って終点の首里城前に着く。タクシーで首里城へ。首里城は琉球王国最大の建造物だが、沖縄戦で焼失した。地下に司令部壕が置かれていたためである。近年になって徐々に復元されている。琉球と中国との関係など興味深い展示物が並んでいた。

 タクシーで国際通りに出る。ここで土産物屋さんなどを巡る。飛行機の時間が迫ってきたので、モノレールで空港に戻り、空港の売店で買い物をする。那覇空港の売店はかなり充実していた。

 帰りの飛行機も順調だった。着陸時は福岡市内の夜景を楽しむことができた。空港からは自分の車を運転した。10時半に帰宅した。

 沖縄はなかなか行けないところだ。この時期にNHK朝ドラ『ちゅらさん』の再放送が夜7時半からあっていた。ユリはこれを見て沖縄への思いを強めていたようだ。

 この後、昨年夏に製作されたテレビドラマ『サトウキビ畑の歌』の再放送があり、「その時歴史が動いた」では沖縄戦の特集があった。沖縄の戦争について考える機会があった。

 岩波新書から出た『日本縦断徒歩の旅』(石川文洋)という本を読んだ。著者は沖縄出身である。現在の沖縄が抱える課題についても考えさせられた。

 沖縄にはまた行ってみたい。周辺の奄美大島、石垣島、与那国島、ちゅらさんの故郷の小浜島などいつか出かけることができるだろうか。 

平和の礎に立つ

琉球衣装

残波岬の灯台と「おもろそうし」文学碑

真栄田岬

万座毛にて
万座ビーチホテルが見える

首里城

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