奈良・京都文学歴史散歩  2003年12月

   家族旅行で関西に出かけることになった。2001年12月、2003年1月に次いで、3冬連続になる。生駒山、二上山、天保山に登り、山の辺の道を歩き、東大寺、奈良公園、司馬遼太郎記念館、大阪城などを楽しんできた。

 今年はNHKの大河ドラマで『宮本武蔵』が放映された。武蔵巡りということで、熊本の武蔵塚、島田美術館や下関の巌流島に出かけた。奈良には柳生街道というウォーキングコースがある。奈良から柳生の里までの20キロの道のりだ。かつて武蔵も歩いたという道を歩いてみたいと思った。中学生になってヨシキは剣道を始めた。吉川英治の『宮本武蔵』を読破し、NHKの大河ドラマも毎週見ていた。柳生街道を歩くということをメインに旅行の計画を考えた。

 家族それぞれの日程の都合もあり、ヨシキと私が先発して、1日目に奈良に泊まり、ユリとななちゃんが2日目に来て、大阪に泊まり、3日目は一緒に行動することになった。

                                              

黒門市場


   27日の早朝に出発する。ななちゃんに甘木駅まで送ってもらう。新幹線の中ではヨシキは眠っていた。11時に大阪に着く。今日は大阪の黒門市場と芭蕉終焉の地を見学することにしている。

 百名山さんから黒門市場の紹介を受けていた。ここは日本橋にある。アーケードにたくさんの店が並んでいる。鮮魚店、八百屋などの威勢のいい声が聞こえてくる。NHKの朝ドラ「ほんまもん」の舞台になったところでもある。180軒の店が並んでいるということだ。ここの「月光仮面」というお好み焼きやさんで昼食にする。本場のモダン焼きはおいしかった。

 本町の芭蕉終焉の地に向かう。ここはなかなか場所を見つけることができずに苦労した。観光地ではないので、案内板がなく、ウロウロしていた。ガイドブックの地図の場所はビルになっていて発見することができなかった。

 それで、道をはさんだ反対側の東本願寺難波別院(南御堂)に行く。ここには松尾芭蕉の句碑があった。

   旅に病んで夢は枯野をかけめぐる

 江戸から九州に向かっていた松尾芭蕉は大阪の地で病気になり、ここで亡くなった。1694年10月12日のことである。『奥の細道』の旅から5年目である。その臨終の模様は芥川龍之介『枯野抄』にも描かれている。

 難波駅から近鉄電車で奈良に向かう。2年前に登った生駒山を眺めたりしていた。奈良に着いて、ホテルに荷物を預けて、タクシーで志賀直哉旧居に向かう。

 志賀直哉旧居は奈良文化女子短大のセミナーハウスだ。志賀直哉は没後に資料館や文学碑などを建てられることを嫌っていたということで、ここには資料などの展示がない。客間、茶室、書斎、居間、食堂、サンルームなど志賀直哉が10年間ほど住んでいた当時の姿を残している。訪れる人も少なく、素朴な落ち着く空間だった。

 ヨシキは志賀直哉のことは全く知らなかったので『清兵衛と瓢箪』の話などをしてあげた。瓢箪に夢中の子供が父親の無理解に苦しむという話で、志賀直哉の実体験がもとになっいる。

 「せせらぎの道」を歩く。沿道に鹿がたくさんいる。春日大社に詣でて、奈良公園、国立博物館を通り過ぎる。若草山がいい感じだ。興福寺の横の猿沢池を通り過ぎてホテルに戻ってきた。この付近の奈良町の町並みは派手さがなくて好感が持てる。夕食は近くのそば屋さんだった。この夜にテレビで豊臣秀吉のドラマがあっていた。ヨシキは喜んで見ていた。

 今回できれば奈良市写真美術館に行きたかった。ここは大和路を撮り続けた写真家、入江泰吉の写真8万点を収蔵している。1994年に京都旅行をした際に同行の方がここに一人で行かれたことを覚えていた。残念なことに年末でお休みだった。

 翌朝は6時に起きる。念願の柳生街道歩きに出かけた。一日かがりで楽しんだ。奈良まで戻り、近鉄電車で帰る。鶴橋でJRに乗り換えて大阪駅に向かう。途中ライトアップされた大阪城が見えた。グランヴィア大阪は大阪駅に直結しているので便利がいい。我々が着くとななちゃんとユリは既に部屋に入っていた。今日は京都に行って、哲学の道を散策し、銀閣を見てきたとのこと。

 夕食は大丸で買ってきたお総菜だが、これがなかなかおいしい。柳生街道歩きの疲れもあってぐっすりと眠ることができた。

 翌朝は6時半起床、バイキングの朝食だ。メニューが豊富だった。  

  8時半にホテルを出る。今日は京都の「きぬかけの道」を歩くことにしている。ヨシキが金閣寺と竜安寺石庭を見たいと言っていた。この沿線には徒然草で有名な仁和寺もある。ヨシキやユリの歴史と国語の勉強の役に立てばという思いもあった。

 京都までJRで行く。途中で天王山を見る。「山崎駅」があって、明智光秀と豊臣秀吉が戦った「山崎の合戦」を偲ぶ。

 京都駅に降り立ち、バスで金閣寺に向かうことにする。駅前の金閣寺方面のバス停に長い行列ができていて、困惑した。金閣寺行きのバスが来るが、あまり人が乗らない。次々に発車していく。後で分かったが、この日は大学受験の模擬試験日で、会場に向かう受験生の長蛇の列だった。

 満員のバスに乗るが、受験生が降りたあとは、ゆっくり座っていくことができた。金閣寺道で下車。

 金閣寺というのは通称で、正式にはここは鹿苑寺(ろくおんじ)という。臨済宗の禅寺である。もともとは室町幕府三代将軍足利義満が建てた別荘だ。金閣はお釈迦様のお骨を祭った舎利殿である。1994年に世界文化遺産に登録されたとのこと。

 金閣は絢爛の一言に尽きる。池や庭園も見事なものだ。中は順路に従って進むようになっている。観光客が多い。外国人も目立つ。中を一回りして出てくる。

 きぬかけの道を歩く。竜安寺まで30分ほどだ。いい道だが、車が多いので落ち着いて歩くというわけにはいかない。

 龍安寺は応仁の乱で知られる細川勝元によって創建された。枯山水庭園の石庭で有名なところだ。龍安寺も人が多かった。石庭を全体的に見ることはできない。本当は15個ある石の数をヨシキ、ユリと数えてみたが、14個までしか分からない。龍安寺の鏡容池と呼ばれる池も風情があってよかった。蓮が浮いていたが、夏は特に素晴らしいということだ。

 立命館大学の前に山猫軒というおしゃれな軽食喫茶があった。ここで昼食を取り、ゆっくりした。バンやスパゲティなどの軽い食事だが、歩き疲れていたので休憩になった。
 
 

黒門市場のお好み焼き屋さん

芭蕉終焉の地
「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」

志賀直哉旧居

せせらぎの道の鹿

若草山

金閣

龍安寺石庭

 この山猫軒から立命館大学の塀に沿っていくと等持院がある。ここは事前には全く知らなかったが、nueさんから教えていただいた。この付近では穴場だという。予備知識がなかったが、近いので立ち寄ってみることにした。

 ここは足利尊氏建立の足利家の菩提寺である。室町幕府の15代の将軍の木像が安置されている。庭園も風情がある。大型バスを停める広い駐車場がないために観光客が大挙して押し寄せる恐れがないようだ。人が少なくて落ち着いて味わうことができた。松尾芭蕉の奥の細道の立石寺にある「佳景寂寞として心澄みゆくのみおぼゆ」という一節を思い出していた。特に書院に正座して眺める庭園は素晴らしかった。

 ユリも後で「等持院が一番よかった」と言っていた。庭園には足利尊氏の墓があった。ヨシキはこれを探し出して記念撮影をしていた。ななちゃんは庭園と茶室に感じ入っていた。

山猫軒でランチタイム

  今日の最後の目的地は仁和寺だ。ここは敷地がとても広い。五重塔がそびえている。とても歩ききれるものではない。十分味わうことなく退散することになった。

 仁和寺は徒然草で有名だ。「仁和寺の法師」は滑稽な役割で登場する。石清水八幡宮を年取るまで参拝しなかった法師が、一人で出かけて麓の末寺を石清水八幡宮と勘違いして参拝して、満足して帰ってきた話(五二段)、宴席で釜をかぶった法師が抜けなくなって、無理に抜いたところ耳や鼻がもげてしまったという話(五三段)などがある。

 タクシーでJR花園駅へ。京都駅まで戻る。京都駅で土産などを買い、帰りの新幹線に乗る。京都駅で買った京弁当を車内でおいしく食べた。帰宅は10時近くになった。

等持院1


等持院2


等持院書院から見る庭園


広い仁和寺を歩く


  3回目の関西旅行で慣れてきたように思う。関西は奥が深いので、行きたいところがまだたくさんある。と言うよりも、行けば行くほど行きたいところが増えていくように思われる。飛鳥、吉野、三輪山、法隆寺、西大寺、室生寺、比叡山、鞍馬山、浄瑠璃寺、天橋立、大文字山、六甲山、布引の滝、箕面山、水無瀬、石切地蔵、武奈ヶ岳、賤ヶ岳、伊吹山、大台ヶ原、御在所岳、伊賀上野など思いつくまま挙げればきりがない。今後も通い続けたいと思う。

 今回の旅行でも多くの方の支えがあった。大阪出身の百名山さんから黒門市場のことを教えていただいた。京都に住んでいたことのあるnueさんから等持院のことを教えていただいた。甘木のふっくんは柳生街道を29年前に歩いたということでアドバイスをいただいた。ありがたいことだと思う。

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