江ノ島ハイキング           〜神奈川県藤沢市〜

           2003年3月22日(土) 江ノ島  ヨシキ
江ノ島電鉄江ノ島駅(12:00)→中津宮→奥津宮・竜宮→(13:40)湘南モノレール江ノ島駅

 朝起きてバイキングの食事。ビジネスマンのような人が多い。行列が出来て並ばなくてはいけなかった。横浜駅の構内や周辺には朝食を食べられる店は多いので、朝食付きにしない方が良かったかもと後悔した。

 昨日と同じ横須賀線に乗って鎌倉に向かう。鎌倉駅で下車する。今日のメインは鎌倉大仏と鎌倉文学館だ。

 江ノ島電鉄に乗り換える。この電車に乗ると明治時代に戻ったようなクラッシックな気分になれる。子供の頃は熊本市電などでこんな電車が走っていたが、近年では見たことがない。
                                              

鎌倉大仏

   長谷駅で降りる。山側に向かって歩いていくと鎌倉大仏。修学旅行で来たことがあったのかもしれないが、私にとっては大人になって初めて見る鎌倉大仏だ。鎌倉時代中期の1243年に造られている。この大仏様は中に入ることができる。ヨシキは中を探検していた。ヨシキと写真を撮ったが、だんだんと観光客が増えてきた。朝早く来て良かったと思った。

かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

 大仏様の裏手に与謝野晶子の歌碑があった。これは晶子の自筆ということ。この「釈迦」とあるところについて、川端康成は『山の音』の中で「まちがい」としている。大仏は釈迦でなく、阿弥陀であるということである。吉野秀雄は「文学は坊さんや美術学者の言説とは違うのだから、原作のままでいい」としている。

 与謝野晶子の歌碑は昨年9月に訪れた大分県の長湯温泉にもあった。

 歩いて鎌倉文学館に行く。自然に囲まれた感じのいい施設だ。構内には街灯が十基建っている。それに鎌倉ゆかりの文人の短歌や俳句などを刻んだ銅板をはめこんである。

大海の磯もとどろによする波われてくだけてさけて散るかも(源実朝)
冷ややかな鐘をつきけり円覚寺(夏目漱石)

 鎌倉文学館は感じのいい落ち着いたところだった。鎌倉は戦前の東京の文学者の別荘地として利用されていた。ここに落ち着いた文学者も川端康成、大佛次郎、小林秀雄など数多い。鎌倉ゆかりの作家は数え切れないほどである。鎌倉文学館にはこうした作家の資料が展示されている。興味深く見て回った。

 ここで『鎌倉文学館収蔵コレクション』という本を買った。文庫サイズの「鎌倉文学館資料シリーズ」が4冊出ていて『鎌倉文学碑めぐり』『鎌倉文学散歩』といった本も買った。これを見ると鎌倉にたくさんの文学碑があることも分かった。とても3日間で見て回れるものでないということも分かった。

 この本で、川端康成が鎌倉アルプスを歩いていることを知った。昭和12年のことである。

 この鎌倉文学館で七里ヶ浜に西田幾多郎の歌碑があることを知り、そちらに向かうことにする。由比が浜から江ノ電に乗り、稲村ヶ崎で降りる。

 鎌倉海岸が広がっている。砂浜で散歩している人もいる。海の向こうは太平洋だ。三浦半島や江ノ島が見える。夏目漱石の『こころ』の「私」と「先生」は夏に鎌倉海岸で出会っている。これは由比が浜のこととされている。漱石は明治27年暮れに円覚寺で参禅している。明治29年4月から熊本の第五高等学校に赴任するが、明治30年の夏には材木座に1ヶ月滞在している。

 海岸を西に歩くと西田幾多郎の歌碑がある。昭和26年に建立された。道路に面した場所にあるが、奇妙な形の歌碑である。

七里ヶ浜夕日漂ふ波の上に伊豆の山々果し知らずも

 西田幾多郎は「善の研究」で知られる日本を代表する哲学者だ。いわゆる「西田哲学」を樹立した。幾多郎は鎌倉で冬を過ごしていたが、晩年は稲村ヶ崎に定住していた。墓も鎌倉の東慶寺にある。

 元九州大学教授の滝沢克己先生の著作に『西田哲学の根本問題』というのがある。私と妻が出会った読書会では滝沢先生の著作を読んでいた。その縁もあって、私たち夫婦は最初に生まれた子供に「西田幾多郎」の一字を取って「ヨシキ」と名づけた。鎌倉に来て西田幾多郎の歌碑を拝むことができた。ヨシキにとってこれは記念すべきことである。

 このあと私は鶴岡八幡宮や源頼朝の墓などに行きたかったが、ヨシキが江ノ島に行きたいという。彼が愛読している「ワンピース」に江ノ島の龍神伝説のことが書いてあり、それで行ってみたいとのことである。確かに江ノ島にはいくつかの龍神伝説が伝わっている。

 七里ヶ浜駅で江ノ電に乗り、江ノ島駅で降りる。ここは江ノ電、湘南モノレール、小田急江ノ島線の3つの駅が隣接している。にぎやかな通りを江ノ島に向かう。江ノ島大橋を渡る。この3連休は「江ノ島春祭り」が開かれていて、踊りの行列で歩道は混雑していた。

 江ノ島はサザエの壺焼きなど海産物が名物のようだ。「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男がサザエの壺焼きを好きだったなあと思い出していた。

 石段を登って江ノ島神社辺津宮から奥津宮へと進む。意外に風が強く肌寒い。波も荒いようだ。遊覧船は運休になっている。江ノ島神社は552年に創建と伝えられるが、源頼朝が弁財天を勧請して以降有名になったとのこと。あちこちに龍神が祭られている。弁財天や北条時政に関連した龍神伝説があるらしい。

 「恋人の丘」を目指したが、恋人達が多く、ばつが悪かったので引き返した。江ノ島には男女の二人連れが多かったが、若者ばかりでなく、熟年のカップルも目に付いた。その睦まじい姿を眺めながらあれこれ考えていた。

 帰りは湘南モノレールに乗ることにした。江ノ島から大船までの短い区間だが、街を眺めながら楽しく過ごした。横浜に帰り着いて信州そばを昼食に食べた。

 この夜は横浜市内の妹夫婦のマンションを訪れた。駅に近く、横浜プリンスホテルに隣接し、一階にはジュディオングの店があるという立地条件だ。手作りのお好み焼きをごちそうになった。

 翌日は早起きする。今回の旅行のメインである座禅の日だ。チェックアウトの準備をして7時前にレストランへ。バイキングの朝食を済ませる。ビジネス客が多かった前日と比べると家族連れが目立つ。横浜駅から横須賀線で北鎌倉まで。早朝なので電車はのんびりしている。電車を降りると鎌倉の高校生達も大勢降りてくる。8時過ぎには円覚寺に到着した。

佛性は白き桔梗にこそあらめ

 最初に帰源院の夏目漱石句碑を見に行く。ひっそりとした本堂の手前に立っている。昭和37年に建てられたとのこと。極度の神経衰弱に悩んでいた漱石は明治27年12月23日から翌年1月7日までここで寝起きして参禅している。漱石はこのときの体験をもとに『門』や『夢十夜』を書いた。

 昨年9月からしげさんの紹介で太宰府の戒壇院で開かれている座禅会に参加している。第一、第三日曜の朝8時からの1時間だ。座禅を組み、お経を唱え、和尚さんの法話を聴く。このあと境内の清掃をして、時間があれば書院でお茶をいただくことになっている。昨年は6回、今年は5回参加した。この11回のうちヨシキは10回、ユリは3回ついてきた。月2回の座禅に参加することで外界の変動やストレスに対して心の平静を得ることができるようになったように思う。

 円覚寺では様々な座禅会が催されている。毎朝5時半からの暁天座禅会、土日の泊まりの座禅会、数泊の夏期講座などだが、最もお手軽な日曜説教会に参加した。9時から11時まで、お経を唱え、法話を聴き、座禅を組むというもの。参加者は百名を越えていた。観光客の参加も多く、厳粛な雰囲気とは言えなかったが、座禅の時は初心者向きの分かりやすい解説があり、ずいぶんと参考になった。今度は是非泊まりがけの座禅に参加してみたいと思った。

与謝野晶子歌碑
かまくらやみほとけなれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな

鎌倉文学館

江ノ電の車内

西田幾多郎歌碑
七里ヶ浜夕日漂ふ波の上に伊豆の山々果し知らずも

七里ヶ浜で江ノ島をバックに

江ノ島の竜神

 『門』には座禅の様子がこう描かれている。

 宗助はこれらの人の顔を一目見て、まずその峻刻なのに気を奪われた。彼らは皆固く口を結んでいた。事ありげな眉を強く寄せていた。そばにどんな人がいるか見向きもしなかった。いかなるものが外から入ってきても、全く注意しなかった。彼らは活きた彫刻のように己を持して、火の気のない部屋に粛然と座っていた。
 これは漱石の体験そのままの描写と考えられる。15日間の泊まり込みの修行など、私には耐えられそうもないが、自分を変えるためには一度は数泊の参禅を経験するのはいいことかもしれない。

 座禅が11時に終了して北鎌倉駅前の豊島屋で鳩サブレなどのお土産を買う。横浜に戻り、買い物をして、羽田に向かい、飛行機で福岡まで。行きと違って時間通りの運行だった。19時半には自宅に帰り着いた。

 小学校を卒業するヨシキとの3日間の旅行は楽しかった。ヨシキと色々と話し込むこともできた。彼が行き先の希望をあまり言わなかったので、私が行きたいところばかり行った。3日間の鎌倉通いで、文学散歩三昧を楽しむことができた。

 帰ったあとで、「2年後にはゆりちゃんとお父さんとで鎌倉に行こうね」と言うと、ユリは「お父さんと二人はいや、家族みんなで行きたい」と言っている。ユリの方が自己主張が強い。なかなか親の思い通りにはならない。 

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