江津湖文学散歩     〜熊本市〜

               2003年2月2日(日) 江津湖  ヨシキ・ユリ
           熊本近代文学館(13:10)→江津湖遊歩道→(14:10)動植物園

 熊本のおじいちゃん(私の父)がペースメーカーの付け替えの手術のため入院した。手術は無事に済んだ。お見舞いのため熊本に行くことになった。家族全員で行くつもりだったが、ななちゃんは知人の葬儀に出席することになり、ヨシキ、ユリと私の三人で出かけることになった。              
                                              

観世音寺の隣にある戒壇院

 この日の朝は座禅。座禅のあとでそのまま熊本に向かうことにする。ヨシキ・ユリはいつもより早めに起きる。自宅を7時過ぎに出発して太宰府に向かう。朝の天気はあまり良くない。雨模様だ。私は8回目、ヨシキは7回目、ユリは3回目の座禅だ。この日は参加者が多かった。しげさんともお会いした。心落ち着くひとときだ。昨年9月から参加させていただいている。座禅のおかげで、この5ヶ月間、外界の変動やストレスに対して平静を保つことができたように思う。

 ヨシキもユリも座禅に慣れてきたようだ。ヨシキはお経を結構覚えている。「白隠禅師座禅和讃」の「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水をはなれて氷なく 衆生の外に仏なし」といった一節を車の中で口ずさんでいた。子供の記憶力は素晴らしい。

 筑紫野インターから高速道路に入り、熊本を目指す。菊水インターで降りて、玉名、河内のコースを走る。熊本港への分岐から57号線に入り、済生会病院に11時過ぎに到着した。

 おばあちゃん(私の母)は病院の前で孫の到着を待っていた。おじいちゃんは元気だった。一緒に昼食を取る。この病院は立派だ。7年前におじいちゃんの見舞いで来て以来だが、当時5歳と3歳だったヨシキとユリも12歳と10歳になっている。ヨシキの卒業式には二人で来ると行っていた。

 このあと、江津湖散策に出かける。お正月に江津湖を歩いていたが、事前の下調べのない思いつきのウォーキングだったので、夏目漱石の記念碑を拝み損なっていた。熊本近代文学館も行ってみたかった。それで前回から1ヶ月しか経っていないが再び訪れることにした。

 熊本市総合体育館の駐車場に車を止める。熊本県立図書館の別館として熊本近代文学館がある。昭和60年に開設されたという。ここは初めて訪れた。入場無料というのはうれしい。静かな落ち着いた雰囲気の館内だ。熊本県出身の徳富蘇峰、徳富蘆花、高群逸枝、中村汀女、徳永直、石牟礼道子、光岡明、安永蕗子、熊本県ゆかりの夏目漱石、種田山頭火、ラフカディオハーンなどの資料が展示してある。

 私は漱石や山頭火、ラフカデイオハーンなどの資料に見入っていたが、ヨシキはロビーに置いてあった『吾輩は猫である』を読んでいた。ここはまた来てみたい。雨の日などはゆっくり過ごしたらいいと思う。

 江津湖遊歩道3.4キロの起点はこの熊本近代文学館の門の脇の橋のたもとにある。ここから動植物園の先まで歩くことにする。

 コースのはじめの方は川のような感じだが、水がとてもきれいだ。ヨシキもユリも目を見張っていた。歩き出してすぐに高浜虚子の句碑がある。

   縦横に水のながれや芭蕉林(高浜虚子)

 400メートルほど歩くと中村汀女の句碑、その奥に夏目漱石の句碑がある。

  とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな(中村汀女)
  ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり(夏目漱石)
 
 夏目漱石の句は明治30年の作。白魚は春の季語。この句碑は漱石の写真入りだ。同じ頃に漱石は久留米を訪れて高良山から耳納連山を歩いてたくさんの俳句を残している。このときの体験が『草枕』の素材になったと言われている。

 「江津湖ホタルの里」の看板がある。半円形の池にはゾウの形をした滑り台もある。水鳥が遊び、のどかな風景だ。

 起点から800メートルほどで天然記念物のスイゼンジノリの発祥の地の看板がある。金網に囲まれて保護されている。

 対岸にボートハウスが見えてくる。ここが正月に歩いたときの出発地だ。起点から1200メートルほどの地点になる。この辺りから人も増えて、ウォーキングする人、バードウォッチングを楽しむ人、親子連れなどで賑わうようになる。

 このあとのコースは初めてでないので、道は分かりやすい。天気もいいのでスイスイと歩いた。結局1時間ほどで動植物園の正面に着いた。

 途中にあった安永蕗子の歌碑で記念撮影をした。ずいぶんりっぱな石碑だった。安永蕗子は熊本市出身。82歳の今も歌会始の撰者を務めている。

    はなびらを 幾重かさねて夜桜の あはれましろき 花のくらやみ

 安永蕗子は永畑道子と姉妹だということを熊本近代文学館で知った。津奈木町の矢城山に登ったときに山頂に安永蕗子の歌碑があったことを思い出す。

 タクシーで熊本近代文学館に戻る。このあとは57号線沿いにあるマンガ喫茶に行く。ヨシキとユリの強い希望による。このマンガ喫茶は親子連れも他にいて、清潔で感じのいいところだった。ヨシキはナルトを、ユリはちびまる子ちゃんを読んでいた。私はくたびれて居眠りしていた。

 マンガ喫茶で1時間ほど過ごしたあとで帰途につく。益城熊本空港インターから高速道路に入り、17時半には帰宅した。

熊本近代文学館

江津湖遊歩道の起点

高浜虚子句碑
「縦横に水のながれや芭蕉林」

中村汀女句碑
「とどまればあたりにふゆる蜻蛉かな」

夏目漱石句碑
「ふるひ寄せて白魚崩れん許りなり」

水がきれいな「ホタルの里」

スイゼンジノリ発生地

安永蕗子歌碑
「はなびらを 幾重かさねて夜桜の あはれましろき 花のくらやみ」


安永 蕗子 やすなが・ふきこ

1920(大正9)年2月19日、熊本市御徒町生まれ。歌人。熊本県立第一高等女学校をへて、昭和15年、熊本県女子師範学校専攻科国文科卒。23年、胸を患い教職を辞し、入院中に歌誌「アララギ」を耽読。29年頃から、父親の安永信一郎が主宰する歌誌「椎の木」の編集にたずさわり歌作を開始。31年、「棕櫚の花」50首で第2回角川短歌賞を受賞した。第1歌集『魚愁』(有紀書房、昭37・9)を上梓し、これによって第4回熊日文学賞(熊本日日新聞社主催)を受賞。以後、歌集に『草炎』(東京美術、昭45・10)『蝶紋』(東京美術、昭52・4、限定版詩画集、昭52・8)『現代歌人文庫9 安永蕗子集』(国文社、昭53・5)『槿花譜』(書肆季節社、昭53・1)『朱泥』(東京美術、昭54・8)『藍月』(砂子屋書房、昭57・2、特装版、昭58・4)『現代短歌全集39 水の門』(短歌新聞社、昭62・10)『現代女流自選歌集 柳葉譜』(沖積舎、昭57・2)『安永蕗子作品集』(雁書館、昭59・12)『讃歌』(雁書館、昭59・12)『青湖』(不識書院、平4・11)『紅天』(砂子屋書房、平6・12)『流花伝』(短歌研究社、平8・1)など、評論随筆集に『幻視流域』(東京美術、昭47・4)『みずあかりの記』(新評論、昭54・11)『宿命の海峡』(雁書館、昭56・12)『書の歳時記』(TBSブリタニカ、昭57・9)『短歌入門・はじめのはじめ』(東京美術、昭61・10)『自選解100歌選 安永蕗子集』(牧羊社、昭62・2)『安永蕗子全歌集』(河出書房新社、平12・3)などがある。この間、現代短歌女流賞・短歌研究賞・西日本文化賞・短歌ふおーらむ賞・釈迢空賞・第八回詩歌文学館賞などを受賞した。〔参考〕野口郁子『月花の旅―安永蕗子聞書』(西日本新聞社、平9)
 かなしみはとめどなけれど明日はかむ足袋は火鉢の火に乾きゆく
 つきぬけて空しき空と思ふとき燃え殻のごとき雪が落ちくる
 朴の花白く大きく散る庭に佇ち茫々と生きねばならぬ
 蘇りゆきたる痕跡のごとくして雪に地窖が開かれてゐつ
 永らへて享けし孤独と思ふとき天譴のごとき白き額もつ
(スカラベ人名辞典) 

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