江津湖           〜熊本市〜

                 2003年1月2日(木) 江津湖  ヨシキ・ユリ
上江津湖ボートハウス(15:00)→下江津湖終点(15:50)→動植物園→(16:30) 上江津湖ボートハウス

 熊本市出身の私にとって江津湖は懐かしいところだった。高校時代に遠足などで何度か訪れていた。「彼女と江津湖でボートに乗った」と誇らしげに話している友人がいた。江津湖はそのころの高校生のデートコースの定番だった。

 熊本を離れてからはご無沙汰していた。隣接している熊本市動植物園には子連れで何度か来ていたが、江津湖に来るのは25年ぶりぐらいだろうか。
                                              

上江津湖の案内板

 ユリの要望もあって、まず動植物園に行く。中を歩き回り、食堂で昼食を取る。ヨシキは牛丼、ユリはスパゲティミートソース、私はうどんを食べる。そのあとで動物資料館に立ち寄る。ここで「江津湖の生き物展」が開催されていた。見学して図書室で本を見て過ごした。

 動植物園の駐車場の係員の方に道を尋ねて、上江津湖ボートハウスまで車で行く。湖に面した駐車場に車を止める。上江津湖周遊40分の案内板がある。ここから歩き始める。冬だが天気がよく暖かいので、水面がキラキラして気持ちいい。橋を渡って小さな島を辿り、対岸に着く。ここは野鳥も多く、バードウォッチングをしている人もいる。

 江津湖には片道3.4キロのウオーキングコースがある。熊本県立図書館別館の熊本近代文学館から上江津湖を経て、上江津橋、画図橋の下を通り、動植物園を左に見て下江津湖までの遊歩道だ。ここは近代文学館から1.2キロの地点だが、ここから歩いてみることにした。

 江津湖の水がとても澄んでいてきれいだ。明鏡止水という言葉が浮かんでくる。この水辺に沿って遊歩道が続いている。時折標識があってあと何キロということが分かるようになっている。この道沿いに文学碑もある。
  
  つゝじ咲く 母の暮しに 加はりし(中村汀女)
  天霧らひ 雪降る湖に寂かなる 光はありて 鴨ら相寄る(綴敏子)

 今日は歩いていないが、このコース沿いには夏目漱石の句碑もあるらしい。「ホタルの里」の看板もあり、ホタルの季節には乱舞が見られるようだ。この辺りは国指定の天然記念物スイゼンジノリの生息地でもある。

 左手に動植物園が見えるようになるとゴールは近い。江津橋の下を通ると下江津湖になる。釣りをしている人が目立つ。

 動物園を過ぎた先に小さな橋がありそれを渡りきった所がこの遊歩道の片道ゴールである。およそ3キロほどの行程をヨシキとユリは歩き通した。

 さて問題はこのあとどうするかだ。往路を引き返すのが一番いいが、くたびれた二人は「タクシー、タクシー」と騒いでいる。動植物園の前に出てタクシーに乗ろうとするが、どこまで行けばいいのか分からないと言われてあきらめる。動植物園を一周して画図橋のところに出て、そのあとは往路を引き返す。

 ウォーキングをしている人は多いが、時折自転車が飛ばしている。この遊歩道は自転車の乗り入れはは禁止されているのだが。犬を連れて散歩している人も多い。このウォーキングコースを楽しむのには早朝がいいようだ。

 ヨシキとユリはくたびれながらもなんとか歩き通した。駐車場の自動販売機でジュースを買って飲んだ。ごほうびにコロコロコミックとちゃおを買ってあげた。

 この翌日は雨。ヨシキとユリを連れて熊本の市街地をブラブラした。ユリのリュックや靴下を買ったり、本屋さんを巡ったりした。

 夕方から帰ったが、高速道路が大渋滞。国道3号線に回ったがこちらも渋滞で、午後4時に出発して甘木に帰り着いたのは午後8時だった。雨の降る中、親子3人力を合わせて頑張って帰った。

 今回は下調べが不足していた。帰ったあとでヤフーで調べてみると江津湖についてのページはたくさんあった。次回は熊本近代文学館から3.4キロの全コースをきちんと歩いてみたい。電車、バス、タクシーなども利用したらいい。このウォーキングコースは自然と文学を味わえる素晴らしい散策路だ。

きれいな水・金峰山を望む

水辺をスキップ

中村汀女文学碑

綴敏子文学碑
中村汀女(なかむら ていじょ)
 女流俳人の第一人者であった中村汀女は、明治33年(1900)熊本市の江津湖のほとりに生まれました。県立第一高女(現第一高校)卒業、その18歳の暮れに詠んだ「吾に返り見直す隅に寒菊紅し」の句が認められて俳句を始めました。
 その後結婚、子育てのため句作を中断しますが、再開して「ホトトギス」同人となり、戦後「風花」を創刊主宰。家庭的な日常の中に、深い叙情性をおびた句を詠み、多くの家庭婦人を俳句に親しませました。
 ふるさとの「江津湖」を思い、母を恋した汀女、昭和54年(1979)熊本市の名誉市民となりました。昭和63年(1988)他界。江津湖湖畔に生家が残っておりましたが、数年前取り壊されました。 (熊本国府高校ホームページ)
長年の”恋人”に囲まれて   綴敏子

 この土地に住むようになりもう半世紀。健軍商店街のアーケードから折れたすぐの場所でずいぶんにぎやかですが、引っ越してきたころは野っ原が広がり、桑畑も残り、飼っていたウサギのえさを採りに行ってたものでした。

 東京大空襲で焼け出され、熊本に戻ってきて、終戦後しばらく熊日の秘書室で邦文、英文タイプを打っていました。その後、国語の教師となりました。短歌に出あったのは第一高女のころ。五高の上田英夫先生が教えにみえており、そこで万葉集の相問歌の情熱的なお話をお聞きしてから。

 それからずっと万葉集。万葉集が私の恋人になりました。中学校の教師をしながら、通信教育で慶応大に学び、卒論も万葉集です。四年で卒業できました。

 応接間兼用の書斎の壁には慶応大の卒業記念に恩師久松潜一先生にいただいた色紙「葉のみてる桑かごを肩にふるさとの山はたこみち行きし日思ほゆ」を飾っています。同じく折口信夫先生の「葛の花ふみしだかれて色あたらしこの山道を行きし人あり」の短冊も私を見下ろしてくれています。五つの書棚も万葉集などの研究書や和歌、短歌に関する本がほとんどで、あとは日本文学の小説など。

 熊本市中央公民館での月一回の万葉集講座も三十四年間、公孫樹短歌会も創立三十一周年を迎えました。

 久松先生は万葉集の本質を「純粋なる感動の素直な表現」と説かれました。「歌はまことなり、心はなおき一つこころ」の加茂真淵の教えのとおり、歌もこころも純粋でありたいと思っています。

 老いの孤独寂しかれども万葉を究めむと命ひたぶるなりし

(公孫樹短歌会主宰)

熊本日日新聞 2000年10月24日夕刊掲載(熊本日々新聞のホームページ)

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