夏目漱石『草枕』ハイキングコース  
                  〜熊本市/玉名郡天水町〜

       2002年5月11日(土) 夏目漱石『草枕』ハイキングコース  ヨシキ
岳林寺(7:35)→鎌研坂→峠の茶屋公園→石畳の道→(9:45)野出峠の茶屋(10:10)→(11:10)漱石館

 夏目漱石『草枕』ハイキングコースを初めてヨシキと歩いた。明治30年(1897年)の大晦日に夏目漱石は熊本市島崎の岳林寺から小天温泉まで歩いている。この時の体験がもとになって『草枕』が生まれた。この15.8キロの道程はこれまで何度か歩いてきたが、子供と歩いたのは今回が初めてだ。ヨシキの体力が付いてきたのと、小学校6年生になり、夏目漱石についていくらかでも理解できる年齢に達したので、実行する運びになった。

 この前日に熊本に帰省した。ななちゃんとユリは福岡市で開かれた知人のピアノコンサートに出かけるので途中まで送った後で、小郡インターから高速道路に乗った。翌日歩いて到着する予定の那古井館の横を車で通り過ぎた。天気も回復気味らしいので楽しみにして当日の朝を迎えた。
 早起きして朝食をとり、おじいちゃん(私の父親)に岳林寺まで送ってもらう。『草枕』ハイキングコースの起点の標識の前で記念撮影をして、7時35分に歩き出す。
                                              

岳林寺の『草枕』ハイキングコース起点

 最初はバスも通る車道をだらだらと登っていく。ヨシキは駄洒落を飛ばしながら調子よく歩く。やがて標高が上がり、熊本市街地や花岡山などの眺めがよくなる。汗をかいてのどが渇いたので鎌研坂で休憩する。

 ここは『草枕』の「山路を登りながらこう考えた」の「山路」とされる坂である。しかし、それほどの急坂ではなく、私におどかされていたヨシキは拍子抜けしていた。

   木瓜咲くや漱石拙を守るべく

 鎌研坂を登りきると右手に漱石句碑を見てすぐに鳥越の峠の茶屋公園に着く。ここで休んでもよいがまだ8時半なので店は開いていない。残念だ。

  このあとはしばらく緩やかな下り坂になる。金峰山の北側斜面をのんびり進む。アマガエルを捕まえたりしながら歩く。

 私が昨年6月に体調を崩してリタイアーした追分のバス停を過ぎると、再び登り坂になる。石畳の道の入口の漱石句碑で写真を撮る。

   家を出て師走の雨に合羽哉 

 石畳の道は雨の後で滑りやすくなっていて、注意して歩く。みかん畑で消毒作業があっていた。だらだらとした登りが長く続くので結構きつい。

 やがて野出の集落に出る。二の岳の登山口を過ぎて、野出峠の茶屋公園に着く。

   天草の後ろに寒き入日かな

 天気がよければ海の向こうに天草が見えるはずだが、思ったよりもガスに覆われていて展望は利かない。しばらく休憩する。ここに説明板があって、『草枕』の「おいと声をかけたが返事がない」という一節や「那美さん」の解説が記されていたが、ヨシキはこれを声に出して読んでいた。彼なりに真摯に読んでいたような気がする。

 ここからは距離は長いが下りだけなので楽である。濡れ落ち葉の道は滑りやすいので用心して歩く。有明海の展望が開けてくると小天は近い。何度もお世話になった「草枕温泉てんすい」を右に見て、やがてゴールの漱石館に着く。ここで記念撮影をして今日の漱石の105年前の足跡をたどる旅は終了した。漱石が泊まった小天温泉那古井館の近くのバス停でバスを待つ。

   かんてらや師走の宿に寝つかれず

 ヨシキの脚力が付いてきて予想外の短い時間で踏破できたことは嬉しい。小学校6年生のヨシキなりに『草枕』ハイキングコースの意義を理解してくれた(?)のも親としては喜びである。

 バスで海岸線の旅を楽しんで、田崎まで帰った。昼食に回転寿司を食べて、ヨシキはじいちゃんの家でゲームを楽しんだ。私は熊本市街に出て、シェルパでヨシキとユリの雨具の帽子を買った。紀伊国屋書店にも寄った。

   RANさんのライブがこの日の5時から宇土市網田の蒼土窯で行われるということで、これに出かけた。RANさんとは先日井原山でお目にかかっているが、昨年は万年山や高良山で御一緒した。いま5年生の娘さんを連れて参加されていた。

 4時に出発したが3号線は混雑していた。宇土市内でも混んで時間ぎりぎりになってしまった。右手に有明海を、左手に三角岳に続く山々を眺めながら運転した。「宇土餅」の店など私とにとって懐かしい風景だった。

 おばあちゃん(私の母親)は網田小学校に勤めていた。当時は休日の日直制度があり、幼少期の私は母に連れられてJR三角線(当時は国鉄と言っていた)に乗り、日曜日の一日をこの付近で過ごしたことが何度かあった。自然が豊かでカブトムシやクワガタムシがよく採れていた。校庭の砂場で遊び、校長室でテレビを見ていた記憶がある。通り過ぎた網田小学校は現代的な立派な施設になっていた。
 蒼土窯は自然に囲まれた環境のよいところだった。到着するとRANさんたちはリハーサル中だった。なかなか始まりそうにない。会場の外にはテントが張られ、パンや焼き鳥が売られている。お祭りの始まりのようだ。

 熊本市のじんさんが見えられた。RANさんライブのことをメールでお知らせしたところ、駆けつけてくださった。私は初対面である。中2の娘さんと小4の息子さんを連れて山に登られている。この翌日は阿蘇に出かけられた。

 RANさんのライブは5時半過ぎから始まった。ジャズの本物のコンサートだ。素敵な時間を過ごすことが出来た。自然に囲まれた場所で、夕陽が落ちていく中での演奏とRANさんの歌声は感動的だった。ヨシキも彼なりの感動を味わっていた。「これは掃除の時間に流れている曲だよ」と言っていた。RANさん、てつ−2さんと短時間だがお話することもできた。てつ−2さんはバンドマスターとして全体に目を配られていた。 

鎌研坂で休憩

石畳の道の入口
「家を出て師走の雨に合羽哉」

野出峠の茶屋跡
「天草の後ろに寒き入日かな」

野出峠の茶屋跡の説明板に見入るヨシキ

終点の漱石館にて

熊本県宇土市蒼土窯にてRANさん、じんさんと
・この日の演奏曲目は以下の通り。Feeeeeeeeeeeのホームページより転載する。

Goes On Inside Of Your Heart
I Remember April
Fly Me To The Moon
The Days Of Wine And Roses
It's Only A Paper Moon
All Of Me
You'd Be So Nice To Come Home To
Too Young To Go Steady
Softly As In A Morning Sunrize
Tears In Heaven

 真っ暗になる前に帰途に着く。松橋インターから高速道路に入り、北熊本パーキングで夕食。父子二人でラーメンを食べた。9時半には甘木に着いた。
 帰ってみるとユリはいなかった。邪馬台国祭りの「古代生活体験」に参加していて、平塚遺跡公園の竪穴式住居に泊まっていた。参加者は男子6名、女子12名で、地面にシートを敷いて、その上にござを敷き、毛布をかぶって寝たらしい。竹で食器を作り、自炊したとのこと。小学校4年生のユリにとっては貴重な経験だったようだ。 

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