雲仙国見岳・普賢岳   〜長崎県島原市/小浜町〜

        2002年3月30日(土) 雲仙国見岳・普賢岳 ミラさん、ヨシキ・ユリ
仁田峠(8:55)→妙見神社→国見岳(10:10)→紅葉茶屋→(11:10)普賢岳(12:30)→アザミ谷→(13:30)仁田峠

 このところよく島原・雲仙方面には出かけている。昨年夏にユリと二人で雲仙絹笠山に登りに行った。11月には熊本に帰省したので、熊本港からフェリーで島原に渡り、ミラさん夫妻の案内で雨の中の仁田峠付近、妙見岳周辺の散策を楽しんだ。今年2月には島原市で開かれた「島原こどもフェスティバル」に訪れ、島原城や武家屋敷跡を見学した。

 ただ九千部岳や雲仙普賢岳の登山はできておらず、登山をしたいというのが懸案になっていた。

 3月29日から30日にかけて熊本に帰省することになった。30日はどこか熊本県の山に登ろうと思っていたが、直前になって30日の天気がかなりよくなりそうだとの予報になった。それで2日前に思い立ってミラさんに連絡したところ同行していただけるとのことだったので、思い切って決行することにした。

 29日には熊本市の登山用品店「シェルパ」に行く。カメラザックの胸当てが壊れていたので修理する。この後紀伊国屋書店に行く。ヨシキはワンピースとシャーマンキングの小説を買い、ユリは「千と千尋の神隠し」の本を買う。

 私は中公新書1592の『登山の誕生』という本を買う。これは「万葉集」などにみられる日本人の登山の原点を掘り返す面白い本だ。現代の登山ブームについて「金銭的な余裕がなくなってきたために、登山やキャンプ、ハイキング・・・金のかからない野外活動が見直されたのである」「日常生活のストレスの解消や気分転換のために山に登っている人が非常に多い・・・心情は理解できても、山への甘えばかりが感じられ、いささか淋しい気がする」とある。私は山に行けなかったら仕事などのストレスに耐えることができないという自信はある。山に甘えているというのは本当だ。しかし人に何と言われようとそれでいいのだと思う。
                                              

雲仙普賢岳  平成新山がバック

 30日は5時半に起きる。ヨシキとユリを起こして出発。コンビニで朝食と昼食、おやつ、飲み物などを購入する。6時半に熊本港について、朝食を食べながら準備をする。フェリーの往復料金は6千円。このフェリーの利用は昨年11月に続いて2回目だが、今回は夜明けがはやく天気がいいので、とても気持ちがいい。すがすがしい。体操服姿の熊本市の中学生が大勢フェリーに乗っていた。島原か長崎に試合に出かける様子だ。

 出航は7時。フェリーの進行方向左側に宇土半島が見える。遠くに天草が望める。カモメが飛んでいる。楽しい船旅だ。

 8時に島原に着くと、ミラさん御夫妻が待っておられた。Tetu-1さんは年度末の仕事が忙しく出勤されるとのこと。ミラさんを私の車に乗せ、雲仙へと向かう。

 仁田峠の駐車場にはあまり車が多くなかった。準備をして9時前に出発する。最初に妙見岳ロープウェイの下の遊歩道を登る。ミラさんが先頭、ユリ、ヨシキと続き、私がしんがりだ。ショウジョウバカマの小さな花が咲いていた。登るに連れて駐車場がどんどん小さくなっていく。

 妙見神社で最初の休憩。この付近は冬は「霧氷のトンネル」になるらしい。この後国見岳に向かう。国見岳直下の鎖場をユリが怖がる。「鎖があるから大丈夫だよ」と外国人の登山者に励まされるが「緊張しすぎて鎖を放したら命がない」と言う。それでミラさんにお願いしてヨシキだけを連れて標高1347メートルの国見岳に登ってもらう。二人が往復している間、ユリと私はおやつを食べていた。ここから見える橘湾の海の風景がとてもきれいだ。

 この後、高度感のある歩道を紅葉茶屋へと降りる。気持ちのいい道をしばらく歩く。普賢岳と仁田峠の分岐に出て、しばらく休んだあと、普賢岳への登りに取り付く。溶岩がごつごつしたところを登る。ユリが「この山は赤い石ばっかりね」と言う。

 標高1359メートルの普賢岳山頂に着く。12年ぶりの山頂だ。私は雲仙には1990年4月に一人で来ている。長洲港からフェリーで往復して国見岳、普賢岳に登った。この半年後の1990年11月17日に普賢岳が噴火した。この噴火は1995年まで続いた。この時期の島原の人たちの辛酸は言うまでもない。ミラさん御夫妻もその渦中にいらっしゃつたわけである。

 12年前にはなかった平成新山が眼前に迫って見える。ユリが「石ばっかりの山ね」と感激している。雲仙・島原の辛酸の日々を象徴するかのようだ。

 平成新山をバックに記念撮影。普賢岳からは各方面の眺めがいい。雲海が感動的なぐらい見事だ。切れたったところがあり、ユリが崖の下をのぞいている。落ちないように注意しなさいというと、「だって見てみたいんだもの」と答える。好奇心旺盛だ。国見岳の岩場は怖がっていたが、面白い心理だ。

 この後昼食にする。楽しいひとときだ。ミラさんと私は携帯メールを各方面に送る。子供は木切れを拾って遊んでいた。

同じく普賢岳  ミラさんとヨシキ・ユリ

アザミ谷のユリ

国見岳山頂のヨシキ
 下山はミラさんとヨシキが先に行き、ユリと私が後から降りる。アザミ谷付近の道は歩きやすく気持ちがいい。アザミ谷のベンチで休憩する。この後は道幅の広い自然歩道になる。左手には有家町の市街地を望みながら歩く。ヨシキとユリが二人で先に行く。ミラさんと私は話しながら歩く。ミラさんに花の名前を色々教えていただいた。今日は車の中で、あるいは歩きながら色々とお話を伺った。既に大きくなられている3人のお子さんのお話は特に興味深くお聞きした。我が家のファミリー登山はやがて終わるが、子供との関係はそれで終わるわけではない。この子達とどのような関係を築いていけるかは大切な課題だ。島原こどもフェスティバル、通学合宿、学校五日制、ピアノ教室などのお話も伺った。

 仁田峠に着いて、ヨシキとユリはアイスクリームを食べる。望遠鏡をのぞいたりもしている。ユリはミラさんに学校生活のことなどをあれこれ話していた。

 私は帰りのフェリーの時間を11月のときと同じ15時15分だと思い込んでいた。念のため確認の電話を入れる。すると14時50分だという。季節で時間が変わるようだ。それであわてて島原に向かう。結果的には20分早く着いた。

 お世話になったミラさんに別れを告げる。フェリーではカモメのえさを買い、ユリはカモメにえさを投げて楽しんでいた。

 熊本市の実家に寄り、じいちゃん・ばあちゃんとしばらく過ごして帰途に着いた。いつものように、帰りの車の中では二人ともスヤスヤ眠っていた。

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