大和万葉文学散歩
               −伊勢物語・万葉集・松尾芭蕉の旅−
  
                             平成13年12月25日〜27日

1 出発まで

 勤続20年のリフレッシュ休暇を利用して関西に旅行することになった。伊勢物語の「筒井筒」に登場する生駒山に登り、太秦映画村に行こうとか考えていたが、旅行が近づくに連れて奈良への関心が高まり、大津皇子の墓があることで知られる二上山、奈良の三輪山を仰ぐ「山の辺の道」に行ってみようと考えた。天気の都合もあるが、できれば3日間とも文学散歩をする計画を立てた。余裕があれば大阪の芭蕉終焉の地の見学もしたいと思った。

2 平成13年12月25日(火) 生駒山   

松尾芭蕉が越えた暗峠  この日はJRを乗り継いで博多駅へ。新大阪駅に着き、大阪駅まで移動し、駅のコインロッカーに荷物を入れて、地下鉄に乗り継ぎ、近鉄東大阪線で生駒に向かう。
 生駒山は大阪府と奈良県の境の山なので、電車の進行方向に姿が見える。生駒山の下を通っているトンネルを抜けるとそこは奈良県で、生駒山が反対方向に見える。近鉄生駒駅は奈良県生駒市にある。ここで下車。

 伊勢物語の第23段「筒井筒」に「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」という和歌がある。河内から大和の方を見て恋人を想って詠んだ歌である。この「筒井筒」が生駒山に登ろうとしたきっかけになった。事前にヤフージャパンで検索したところ、大阪在住の高校教員の方が作られている「伊勢物語」の紹介と研究のホームページを見つけた。掲示板でアドバイスを受け、標高642メートルの生駒山に登ることになった。
生駒山頂の万葉歌碑  生駒駅から住宅地の中を歩いていく。生駒山の東側の山腹を巻くようにして歩く。山の斜面にかつての新興住宅地が続いている。地名が何と軽井沢町だ。犬を飼っている家が多い。道路脇に自動車が捨てられたままになっていて無残だ。1時間ほど歩いて、奈良街道に出る。これはかつて大阪と奈良を結んでいた由緒ある道だ。

 この道をしばらく歩くと暗峠(くらがりとうげ)。石畳のある感じのいいところだ。ここでお茶を飲んで一息入れる。この名の由来には諸説あるようだが、神功皇后伝説もあるようだ。「三韓征伐に行く時、鶏の声を聞き、西畑を出発したが、この峠に来ても夜が明けなかったので、この名が残ったという説もある」(山と渓谷社「奈良県の山」)とのこと。松尾芭蕉が最期の旅で九州に向かった際に、この暗峠を越えて、「菊の香にくらがり登る節句かな」という俳句を残しているとのこと。
 ここから生駒山に向かう。額田園地というところから自然歩道になり、山頂に直接向かうようになる。ただこの頃から雪がちらつき始める。午後2時になり、お腹もすいてきたが、アンパンなどで我慢して頂上を目指した。

 やがてテレビ局の鉄塔や遊園地の「スカイランド生駒」がある山頂に出る。音楽が鳴って賑やかなところだ。山頂の標識は、キシャポッポの線路の中にある。

 生駒山の山頂には万葉集の歌碑もあった。「難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」とある。万葉集4380の歌だ。生駒山は神々しい山だったのだ。生駒山頂からの夕方の難波方面の景色が素晴らしいそうだが、ガスが深く曇っていて何も見えない。

 雪が激しく降ってきたので、ケーブルカーでの下山になる。このあと、近鉄奈良線で難波まで出て、難波ウォークで焼きそばを食べる。客の前で焼いてくれて、なかなか美味しい大阪らしい焼きそばを味わうことができた。
参考  伊勢物語第23段(筒井筒)

昔、田舎まわりをしていた人の子供たちが井戸のあたりに出て遊んでいたが、大人になったので、男も女も恥ずかしがっていたけれど、男はこの女を得ようと思う。女はこの男をと思いながら、親が(他の人に)逢わせようとするけれど、聞かないでいた。さて、この隣の男の元から
このようになあ(歌を贈ってきた)

 つつゐつのいづつにかけしまろがたけ すぎにけらしな妹(いも)みざるまに
 (筒井つの井筒でくらべた私の背丈は 井筒を越えてしまったらしいお前に会わない間に)

女返し、
 くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき
 (長さを比べてきた振り分け髪も肩を過ぎた あなたでなくて誰が髪上げしましょうか、いやしません)

など、言い合って、とうとう元からの気持ちのとおり、逢ったのだった。

 さて、数年経つうちに、女は親が亡くなり、当てにするところがなくなるにつれて、(男は)
「一緒に、どうしようもなくていられようか、いられない」と言って、河内の国、高安の郡に行き通う所ができてしまった。そうだけれども、この元の女は、「ひどい」と思っている様子もなくて、男をいかせてやったので、男は「別に気持ちがあって、こんなふうでいるのだろうか」と思い疑って、前栽(植え込み)のなかに隠れ座っていて、河内へ行ったふりをして見ると、この女はとてもきれいに化粧をして、景色を眺めて(ちょっと歌って)

 風吹けばおきつ白波たつた山 夜半にや君がひとりこゆらん
(風がふくと沖に白波が立つという龍田山を 夜中に貴方が一人越えているのだろうか)

と詠んだのを聞いて、この上なく愛しいと思って、河内へも行かなくなった。

 たまに、例の高安に来て見ると、(高安の女は)はじめは上品にしていたが、今は打ち解けて、自分でしゃもじを取って、ご飯の椀に盛っているのを見て、なさけなく思って、行かなくなってしまった。そういうわけだったので、例の(高安の)女は大和(奈良)の方を見やって、

 君があたり見つつを居らん生駒山 雲なかくしそ雨は降るとも 
 (あなたがいるあたりを見ながらいましょう、生駒山を 雲は隠さないで、雨は降っても)

といって、外を見ると、ようやく大和の人(男)が「来よう」と言ってきた。喜んで待つが、何度も来なかったので

 君こむといひし夜ごとにすぎぬれば 頼まぬものの恋つつぞふる
 (貴方が来ようと言った夜ごとにいらっしゃらないので あてにはしないけれど恋い慕いながら過ごしています)

と言ったが、男は住まないでおわってしまった。

サイト「伊勢物語」 より転載しました(管理人さんの許可はいただいています)



2 12月26日(水) 二上山

松尾芭蕉が歩いた竹内峠 今日の目標は二上山。これも大阪府と奈良県の境の山だ。天武天皇の皇子で、持統天皇から謀反の罪を受け、非業の死を遂げた大津皇子の墓があることで有名だ。雄岳(515メートル)と雌岳(474メートル)の二峰からなるので二上山の名がついた。「にじょうさん」と読むが古来は「ふたかみやま」と呼ばれていたらしい。

近鉄南大阪線に乗る。二上山駅、二上神社口駅を通過して、當麻駅下車。ここでタクシーを拾い、竹内街道の二上山登山口で降りる。料金は1500円。しばらく「万葉の森」と呼ばれる遊歩道を登る。大伴家持などの万葉歌碑がいくつもある。やがて山道になり、登ってきた竹内街道の登山口を見下ろすようになる。
山の辺の道から見る二上山の山容 雌岳の山頂は四方が開け展望がいい。よく整備されて公園のようになっている。葛城山やその背後の金剛山が美しい。ここで大阪府羽曳野市から来たという年配の夫婦に会う。霧島や開聞岳に登ったとのことで親近感を覚えた。馬の背まで下り、登り返して雄岳に着く。この登りはなかなか息が切れた。

雄岳山頂には立派な二上神社や大津皇子の墓がある。大津皇子の墓は宮内庁の管轄だ。死後に大津皇子の姉の大伯皇女が残した「うつそみの人なる我や明日よりは二上山(ふたかみやま)を弟(いろせ)と我が見む」という歌は悲哀に満ちている。山頂から難波方面の展望が開ける。かなたに大阪湾を望むことができる。なかなかの展望だ。
二上山頂の大津皇子墓所  二上神社口駅方面に下山する。自然林が多く苔むした登山道で気持ちよく歩いた。登山者も多く、大学のゼミの学生のような人たちも居た。万葉集や大津皇子の研究のための登山なのだろうかと思いをめぐらせていた。

 二上神社口駅に着き、行きと同じ近鉄南大阪線に乗った。

3 12月27日(木) 山の辺の道 

初瀬川のほとりの万葉歌碑  「山の辺の道」は桜井から天理までの16キロのコースだ。三輪山や竜王山の麓を巻くようにしてつけられている。自然歩道が多い。「日本書紀」によると「日本最古の道」とされている。沿道には記紀万葉の歌碑も多い。この付近にはJRの「朝倉駅」「三輪駅」がある。三輪山という標高標高467メートルの山がある。山全体が麓の大神神社(おおみわじんじゃ)の御神体で信仰の山である。

 ところで私の住む福岡県のあまぎあさくらには「朝倉町」「三輪町」が存在する。目配山という山があるが、標高405メートルで別名を「三輪山」という。目配山にも近くの砥上岳にも神功皇后伝説がある。この地域とあまぎあさくらの地名が似通っているので興味があった。それでここを訪れることにした。
初瀬川から望む三輪山の山容 近鉄奈良線で桜井に向かう。前日に登った二上山の北側を走る電車だった。桜井駅に降り立つ。この辺りは「三輪ソーメン」の看板が目立つ。感じのいい街だ。

 三輪山の山容の感じが目配山に似ているのに驚く。安本美典氏の「邪馬台国東遷説」が本当らしく感じられる。邪馬台国はあまぎあさくらの地にあり、この邪馬台国の人たちが東に進み(いわゆる神武東征)、大和朝廷を立てたという説である。それでこの地域とあまぎあさくらの地名が似通っているというわけである。帰ったあとで、ヤフージャパンで検索すると、この説が詳しく紹介されていた。
山の辺の道の神武天皇石碑  初瀬川を渡り、古い町並みを歩く。平等寺を過ぎ、やがて大神神社(おおみわじんじゃ)に着く。背後の三輪山を御神体とするため本殿はないということだ。大きな神社で参拝客も多い。三輪山登山口の狭井神社を過ぎると自然歩道になる。とても風情のある道だ。

 長岳寺か崇神天皇陵まで行きたかったが、桧原神社にたどり着いたときには12時近くになっていた。桧原御休処という茶店もあり、ここで食事にすることにした。5キロを2時間で歩いて本日の行程は終了。700円のにゅうめんを食べ、『大和文学散歩』『山の辺の道文学散歩』という本を買った。山の辺の道の休憩にぴったりの店だった。ここから西に見える二上山はとても神々しく感じられた。
奈良の東大寺  ここでタクシーを呼び、天理まで行って、近鉄電車を乗り継いで奈良に入った。奈良公園を経て東大寺まで歩き、大仏様を見学した。車道沿いだが風情のある散策コースだった。東大寺の東側に標高342メートルの若草山がそびえていた。1月の山焼きで有名な山のこと。この山の南側にある標高283メートルの三笠山(御蓋山)は、百人一首に阿倍仲麻呂の歌で、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山にいでし月かも」と詠まれている。月の出を遮る山とされていたらしい。

 この後、近鉄奈良線で大阪に帰り、新幹線に飛び乗って帰途に着いた。この際の時間がぎりぎりになってしまったことは反省点だ。大阪と奈良との横の交通は便利がいいが、奈良の縦の交通は不便だ。山の辺の道と奈良市内を同じ日に設定したのはまずかった。それぞれ一日とってじっくり味わうべきだった。時間不足で大阪都心の「芭蕉終焉の地」はパスする羽目になった。

 今回の旅行で地下鉄や私鉄乗り換えの面倒くささには閉口した。慣れればいいのだろうが、都会での暮らしは大変だと思った。九州はその点おおらかだ。

 3日間を振り返ってみて、楽しい旅行だった。天気に恵まれた。今日の山の辺の道はアップダウンがあまりなくて、風情のある自然歩道なのでとてもよかった。山の辺の道はいつの日か全線踏破してみたい。三輪山にも登ってみたい。また来たいと強く感じたコースだった。この他、吉野山や葛城山、葛城古道、大和三山、奈良市内も味わってみたい。奈良への憧れを強くした旅行だった。

 この山の辺の道の沿線には記紀万葉の歌碑がいくつもあった。神武天皇、柿本人麻呂、額田王などである。古代のロマンをゆっくり味わいながら歩いてみたいコースだ。3日間を通して、古事記、万葉集、伊勢物語、松尾芭蕉などの文学散歩ができたことは本当によかった。平成6年に京都を訪れて愛宕山に登って以来の関西だったが、今回も得るものが大きかった。次の機会はいつだろうか。

桜井市のホームページ         邪馬台国の会ホームページ

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