生駒山           〜大阪府東大阪市/奈良県生駒市〜

            2001年12月25日(火) 生駒山 ヨシキ
近鉄生駒駅(12:00)→奈良街道→暗峠(13:30)→額田園地→(14:20)生駒山(14:45)ケーブル駅

 家族で関西に旅行することになった。私とヨシキは2泊3日、ななちゃんとユリは翌日出発の1泊2日である。USJに行こうということで企画したが、大阪を起点にして京都や奈良に行こうと考えた。伊勢物語の「筒井筒」に登場する生駒山と京都の天王山に登り、太秦映画村に行こうとか考えていたが、旅行が近づくに連れて奈良への関心が高まり、大津皇子の墓があることで知られる二上山、奈良の三輪山を仰ぐ「山の辺の道」に行ってみようと考えた。天気の都合もあるが、できれば3日間ともハイキングをする計画を立てた。余裕があれば大阪の芭蕉終焉の地の見学もしたいと思っていた。
                                             

新幹線の車中でピース
 この日は6時50分に家を出る。レールバスとJRを乗り継いで博多駅へ。通勤途中の人達と一緒になり、なんとなくばつが悪い。新幹線のぞみ号に乗る。家族旅行で九州を出るのは1998年7月以来、ヨシキとユリが九州以外の山に登るのは初めてだ。新大阪駅に着き、大阪駅まで移動し、駅のコインロッカーに荷物を入れて、地下鉄に乗り継ぎ、近鉄東大阪線で生駒に向かう。

 生駒山は大阪府と奈良県の境の山なので、電車の進行方向に姿が見える。生駒山の下を通っているトンネルを抜けるとそこは奈良県で、生駒山が反対方向に見える。近鉄生駒駅は奈良県生駒市にある。ここで下車。

 伊勢物語の第23段「筒井筒」に「君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも」という和歌がある。河内から大和の方を見て恋人を想って詠んだ歌である。この「筒井筒」が生駒山に登ろうとしたきっかけになった。事前にヤフージャパンで検索したところ、大阪在住の方が作られている「伊勢物語」の紹介と研究のホームページを見つけた。掲示板でアドバイスを受け、標高642メートルの生駒山に登ることになった。
   生駒駅から住宅地の中を歩いていく。生駒山の東側の山腹を巻くようにして歩く。山の斜面にかつての新興住宅地が続いている。地名が何と軽井沢町だ。犬を飼っている家が多い。道路脇に自動車が捨てられたままになっていて無残だ。1時間ほど歩いて、奈良街道に出る。これはかつて大阪と奈良を結んでいた由緒ある道だ。

 この道をしばらく歩くと暗峠(くらがりとうげ)。石畳のある感じのいいところだ。ここでお茶を飲んで一息入れる。この名の由来には諸説あるようだが、神功皇后伝説もあるようだ。「三韓征伐に行く時、鶏の声を聞き、西畑を出発したが、この峠に来ても夜が明けなかったので、この名が残ったという説もある」(山と渓谷社「奈良県の山」)とのこと。松尾芭蕉が最期の旅で九州に向かった際に、この暗峠を越えて、「菊の香にくらがり登る節句かな」という俳句を残しているとのこと。

 ここから生駒山に向かう。額田園地というところから自然歩道になり、山頂に直接向かうようになる。ただこの頃から雪がちらつき始める。午後2時になり、お腹もすいてきたが、アンパンなどで我慢して頂上を目指した。

 やがてテレビ局の鉄塔や遊園地の「スカイランド生駒」がある山頂に出る。音楽が鳴って賑やかなところだ。山頂の標識は、キシャポッポの線路の中にある。ここでヨシキと写真を撮る。ヨシキが初めて九州以外の山の山頂に立った。記念すべき写真だ。

 生駒山の山頂には万葉集の歌碑もあった。「難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」とある。万葉集4380の歌だ。生駒山は神々しい山だったのだ。生駒山頂からの夕方の難波方面の景色が素晴らしいそうだが、ガスが深く曇っていて何も見えない。

 雪が激しく降ってきたので、レストハウスで食事をしようとしたが、雪に閉口したヨシキが早く下山したいと言う。歩くのも嫌だということで、ケーブルカーでの下山になる。このあと、近鉄奈良線で難波まで出て、難波ウォークで焼きそばを食べる。客の前で焼いてくれて、なかなか美味しい大阪らしい焼きそばを味わうことができた。このあと17時半に梅田の大阪東急ホテルに着いた。ヨシキと二人で泊まった。都会をウロウロしたヨシキはくたびれてしまい、20時ごろには寝入っていた。 

風情のある暗峠 松尾芭蕉
「菊の香にくらがり登る節句かな」

生駒山頂は遊園地の中

生駒山頂の万葉歌碑
「難波津を漕ぎ出て見れば神さぶる生駒高嶺に雲そたなびく」

難波ウォークの焼きそばやさん−大阪の味−
参考  伊勢物語第23段(筒井筒)

昔、田舎まわりをしていた人の子供たちが井戸のあたりに出て遊んでいたが、大人になったので、男も女も恥ずかしがっていたけれど、男はこの女を得ようと思う。女はこの男をと思いながら、親が(他の人に)逢わせようとするけれど、聞かないでいた。さて、この隣の男の元から
このようになあ(歌を贈ってきた)

 つつゐつのいづつにかけしまろがたけ すぎにけらしな妹(いも)みざるまに
 (筒井つの井筒でくらべた私の背丈は 井筒を越えてしまったらしいお前に会わない間に)

女返し、
 くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ 君ならずしてたれかあぐべき
 (長さを比べてきた振り分け髪も肩を過ぎた あなたでなくて誰が髪上げしましょうか、いやしません)

など、言い合って、とうとう元からの気持ちのとおり、逢ったのだった。

 さて、数年経つうちに、女は親が亡くなり、当てにするところがなくなるにつれて、(男は)
「一緒に、どうしようもなくていられようか、いられない」と言って、河内の国、高安の郡に行き通う所ができてしまった。そうだけれども、この元の女は、「ひどい」と思っている様子もなくて、男をいかせてやったので、男は「別に気持ちがあって、こんなふうでいるのだろうか」と思い疑って、前栽(植え込み)のなかに隠れ座っていて、河内へ行ったふりをして見ると、この女はとてもきれいに化粧をして、景色を眺めて(ちょっと歌って)

 風吹けばおきつ白波たつた山 夜半にや君がひとりこゆらん
(風がふくと沖に白波が立つという龍田山を 夜中に貴方が一人越えているのだろうか)

と詠んだのを聞いて、この上なく愛しいと思って、河内へも行かなくなった。

 たまに、例の高安に来て見ると、(高安の女は)はじめは上品にしていたが、今は打ち解けて、自分でしゃもじを取って、ご飯の椀に盛っているのを見て、なさけなく思って、行かなくなってしまった。そういうわけだったので、例の(高安の)女は大和(奈良)の方を見やって、

 君があたり見つつを居らん生駒山 雲なかくしそ雨は降るとも 
 (あなたがいるあたりを見ながらいましょう、生駒山を 雲は隠さないで、雨は降っても)

といって、外を見ると、ようやく大和の人(男)が「来よう」と言ってきた。喜んで待つが、何度も来なかったので

 君こむといひし夜ごとにすぎぬれば 頼まぬものの恋つつぞふる
 (貴方が来ようと言った夜ごとにいらっしゃらないので あてにはしないけれど恋い慕いながら過ごしています)

と言ったが、男は住まないでおわってしまった。

サイト「伊勢物語」 より転載しました(管理人さんの許可はいただいています)

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