「夏目漱石句碑めぐり」報告                                                  2000年12月 

句碑めぐりの概要(甘木のあいちゃん)
(日時)
  平成12年12月26日午後
(場所)
  久留米市・吉井町
(内容)
文学散歩として、近辺の夏目漱石の句碑めぐりを行いました。社会人としての知見を広めることが目的です。最初に私の方で近郊の漱石句碑について話をさせていただきました。その後で句碑めぐりに出かけました。

夏目漱石は明治29年から33年までの4年あまり熊本の第五高等学校(現在の熊本大学)の教授として熊本で生活しています。この間、漱石は何度か九州各地を旅行しています。明治30年3月に久留米に来た漱石は、御井町から高良山に登り、今の耳納スカイラインを縦走し、発心山から草野町に下山しています。この時の体験が後に『草枕』の素材になっています。また、明治32年の正月には熊本から小倉に行き、宇佐、耶馬渓、日田、吉井、久留米を回る旅行をしています。これらの足跡を記念した文学碑が、久留米・吉井近郊に7カ所あります。

  松をもて囲ひし谷の桜かな (草野町発心公園)
 濃かに弥生の雲の流れけり (発心山頂)
  菜の花の遥かに黄なり筑後川(高良山)
  人に逢はず雨ふる山の花盛 (高良山)
筑後路や丸い山吹く春の風 (高良山)
  なつかしむ襖に聞くや馬の鈴(吉井町中央公民館)
親方と呼びかけられし毛布哉(久留米市山川町)

今回は時間の都合でこのうち4カ所をめぐりました。寒風吹き荒れる中だったのですが、夏目漱石の足跡に触れることが出来ました。

文学碑巡りの感想 (Hさん)

「吉井近郊の文学碑めぐりをすることで、社会人としての知見を広め、合わせて地域社会に対する理解を深める」という目的で文学碑巡りを行いました。最初にあいちゃんから夏目漱石の人生、吉井近郊での足跡とそれが題材とされている『草枕』についてお話をしていただきました。

 その後、句碑巡りを行いました。吉井町役場の漱石句碑を皮切りに久留米市山川町、草野町発心公園の句碑2ヶ所を回りました。どの句碑も久留米市と吉井町によって、立派なものが整備されていたので、訪れる人たちにも、大変分かりやすく漱石の足跡をたどることができるようになっていました。ただ、場所によっては、漱石の日記にある日付と異なった日付が記してある句もあり、何故そうなってしまったのか不思議に思いました。

 『草枕』で漱石が何日もかけて歩いた道のりを私たちは車でたった3時間ほどで行き過ぎてしまい、何だか申し訳ないような気がしました。句碑の前にたたずむと、その当時の町並みや漱石の様子が浮かんできて、歴史に立ち会えたような厳粛な心持ちがしました。

 学生時代に漱石を専門に学んであったあいちゃんの話は、大学の講義を受けているかのようで、とても有意義でした。また参加者と話をすることができて、大変刺激になりました。また、暖かくなった頃に行ってみたいと思いました。

句碑めぐりの報告(Sさん)
               
4名で夏目漱石句碑巡りをした。

漱石30歳。久留米旅行の舞台を文学散歩し、勤務する地域の理解をより深めていこうというものだった。

午後2時、福岡県内10箇所の句碑の説明と本日の碑巡りコースの検討が行われる。後、3時間もすれば陽も落ちるこの季節。耳納連山周辺の草野町発心公園の碑、久留米市山川の碑、高良山の碑の三箇所が時間的にも最適。なお吉井町役場の句碑は一番近いが近いだけに今回は外すことになった。

午後2時30分、学校を出発し最初の目的地、草野発心公園を目指す。25分程度で到着。車内から出ると肌を切るような風を感じ、自然と身体が前傾姿勢になる。

松をもて囲ひし谷の桜かな

桜の木はあるが松の木が見当たらない。また漱石は「かな」なんて言っているが、今、季節は冬。感動よりも悲鳴が出る。とにかく寒い。本日碑巡り最初のコースにして芯まで冷えた。

次の目的地は山川町追分の句碑。移動途中の車内からは昔風情の家並みが目を楽しませてくれる。15分ほどで到着。付近の道は狭く車一台がやっと通れる程度。句碑のまわりにはれんが造りの家屋、以前酒蔵があったのだろうか、煙突が残る。明治32年正月7日、山川町を通った時の句が刻まれている。大石實氏『福岡県の文学碑』によれば、この句の情景は『坊ちゃん』で利用されているらしい。

親方と呼びかけられし毛布(けっと)哉

毛布(漱石)の白い息づかい。先を急ぐ一人の旅行者にかけられた車屋の「親方」の一言は、見知らぬ土地で旧友に呼び止められた、そんな驚きや期待に近いものではなかったか。毛布の音の響きの面白さよりも旅先での漱石の危うさが感じられて面白い。

15分ほどの見学、写真撮影を終え、高良山に出発。車内で相談し徒歩でしかいけない1句を次回にまわすことにする。当面、山頂を目指し山道を進む。途中、体格の良い若者達に出会う。ユニホームからするとどこかの野球部らしい。坊主頭が昔とは違い、なんだかお洒落に見えてしようがない。(年明けに髪を短く切る事を密かに誓う。)そんな連中が車の通行に関係なく、競うように下りてくる。車で跳ねてしまわないか、少々不安になる。山頂にかかり1キロほどいっただろうか、2つの句碑を発見する。

人に逢わず雨降る山の花盛
筑後路や丸い山吹く春の風

 この句碑の前方、後方には、筑後の素晴らしい光景が広がっている。春だろうと、夏だろうと、秋でも冬でも人の心を動かすに違いない。山頂付近からみる夕陽にはもの寂しさなんてものはなく、何かを包む自然の大きさ、圧倒される力強さがある。しばらく4名で日常生活とはかけ離れたこの雰囲気を味わう。

句碑に目を移すと今まで見てきた句碑とは明らかに形状が異なることに気づく。二枚の石が重なり合い、その真ん中が円形にカットされている。想像でしかないが、建てられた当時には、その円から見ると筑後の風景がカメラのレンズを通したような格好で見えていたのかもしれない。現在ではその楽しみを木々が邪魔をしている。実に惜しい。

もう少し見ていたい気もしたが本日の句碑巡りはこれで終了となった。この後、草野、田主丸、吉井へと戻り、学校に到着。職員室でのお茶の温かさがうれしかった。

夏目漱石、森鴎外といえば私は団子坂をまず第一に思い浮かべる。大学、貸家が文京区白山にあったからで、団子坂付近は私の遊び場でもあった。今でも特別な思いがある。福岡に戻り2年が経つが、この句碑巡りをすることで時間の流れの早さに驚きと何かに取り残されたような、そんな気持ちが自分のなかに残った。


熊本の夏目漱石『草枕』ハイキングコースを歩く 
                (甘木のあいちゃん)


*期日      平成13年1月2日(火) 
*コースタイム  岳林寺(9:25)→鎌研坂→(11:20)野出峠の茶屋(11:35)→漱石館→(12:45)小天バス停

 昨年の暮れの12月26日(火)に耳納連山の夏目漱石句碑めぐりをした。草野町発心公園、久留米市山川町、高良山頂の合計四ヶ所を訪れた。事前に私の方で簡単なお話もさせていただいた。なかなか楽しかった。この余勢もあって、今年も熊本の草枕ハイキングコースを歩くことにした。

 このコースのハイキングは毎年1回、正月か春に行っている。今年が7回目になる。天気が心配だがこの「草枕」ハイキングに出かけることになった。岳林寺まで車で送ってもらう。

 熊本市の午前中は雨の予報で、風も強い。傘とレインウェアの準備をしていたが、とうとう降らなかったのでよかった。

 鎌研坂までの登りをまずがんばる。ここを登りきると漱石来熊百年の平成8年10月に建てられた漱石句碑がある。

   木瓜咲くや漱石拙を守るべく

 碑には半藤一利の詳しい解説文がある。岩波書店「漱石全集」の注釈によると、『草枕』に「世間には拙を守ると云ふ人がある。此人が来世に生まれ変わると屹度木瓜になる。余も木瓜になりたい。」とあり、「守拙」の語は陶淵明の「拙を守って園田に帰る」から来ているとのことだ。

峠の茶屋を経てしばらくは緩やかな下りで歩きやすい。漱石の時代をしのびながら歩く。石畳の道の入り口にも漱石句碑がある。

   家を出て師走の雨に合羽哉

 これは明治30年の大晦日に小天に向かう途中のことを詠んだ句である。『草枕』では春雨になっているが、冬の雨は寒かったと思われる。石畳の道から野出に登る道は苦しい。今回は石畳の道がやや苦痛に感じた。

野出峠の茶屋には誰もいなかった。ここにも漱石句碑がある。

   天草の後ろに寒き入日哉

 『くまもとの漱石−俳句の世界−』の解説には、小天から天草を見て詠んだ句ということになっているが、野出峠の茶屋から見た句ということでもおかしくはない。キリシタン弾圧、島原の乱、からゆきさんなど天草には朝日よりも「寒き入日」のイメージが似合うというのは分かる。

 野出峠の茶屋からの下りは気持ちがいい。有明海を眺めながら土の上を歩く緩やかな下りが多い。雨の予報だったが、時折陽も差して暖かい。冬の散歩にはまずまずの天候だ。野出から小天までは「草枕ハイキングコース」の標識がこまめにつけられていて迷うことはない。「草枕温泉てんすい」を仰ぎながら歩いた。

 漱石館にたどり着き、記帳して小天まで歩く。セブンイレブンの近くのバス停で一五分バスを待って、熊本市に向かう。

 今回の歩きで残念だったのはゴミの散乱だ。何度も見かけた。空き缶が落ちているというぐらいならまだいいが、明らかな不法投棄がハイキングコースの脇で行われている。危険な物も捨てられているようだった。このコースの圧巻だと私が思っている野出からの自然歩道がひどかった。漱石来熊100年の行事が済んで4年経つが、これでいいのかと思う。憤慨するというよりも悲しい思いがした。


【そうせきのみち】
明治の文豪・夏目漱石は、旧制第五高等学校教授の時代に5回程久留米を訪れています。
明治30年には、漱石は親友菅虎雄を訪ね、高良山中腹の高良大社に行き、耳納連山を越え、彼方まで広がる筑後平野に咲く一面の菜の花を眼下に見下ろし、発心(草野町・発心公園)まで行って桜を見物しました。この時の山越えの体験は、のちに名作「草枕」の中にも生かされたと言われています。
その時、漱石は「高良山一句」と題して、十の句を詠んでいますが、漱石の歩いた山道、現在の自然歩道「耳納縦走コース」と「発心城コース」の約14kmを「漱石の道」と命名し、十句の内五句を、展望のきく場所に、市内在住の気鋭の彫刻家に依頼して句碑を建立しました。
句の由縁となった美しい自然と共に、詩情豊かなふるさとをめぐる道として、多くの人々に親しまれています。


「松をもて囲みし谷の桜かな」  (発心公園内:平成5年度)

「菜の花のはるかに黄なり筑後川」
              (森林つつじ公園:平成5年度)

「濃かに弥生の雲の流れけり」  (発心城跡西:平成6年度)

「人に逢わず雨ふる山の花盛り]
            (森林つつじ公園東方:平成6年度)

「筑後路や丸い山吹く春の風」
            (森林つつじ公園東方:平成7年度)

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