風師山文学散歩      〜北九州市門司区〜

              二〇〇〇年一〇月九日(月) 風師山 オオイシさん・ヨシキ
JR門司港駅(10:45)→清滝公園→高浜虚子句碑→宮川尚古文学碑→(12:30)風師岩頭(13:23)→(13:30)風師山(13:48)→小森江貯水池跡→(14:35)林芙美子文学碑(14:50)→(15:20)JR小森江駅

 オオイシさんは定年退職されてもう五年になられる。昨年海鳥社から『福岡県の文学碑(古典編)』を出版なさっている。六七〇ページで六千円という膨大な量の書物である。これが好評で続編の近代編を執筆中である。北九州市門司区の風師山にある吉井勇の文学碑を見に行きたいとおっしゃっていたので、機会があれば御一緒しましょうというお話をしていたところ、九月に入って、「取材のために年内に風師山に行きませんか」というお手紙をいただいた。それで秋の三連休最終日の体育の日に、風師山に登ることになった。門司までの日帰り旅行なので、何度かFAXのやりとりをして、移動手段や待ち合わせ場所・時間を決める。

 今回は小学校四年生のヨシキだけを伴って行くことにした。甘木からレールバスで基山まで行く。鹿児島本線の快速電車で博多駅まで行って、新幹線に乗る。ヨシキは初めての新幹線だ。小倉駅で昼食のパンを買い、普通電車で門司港まで。電車の中でオオイシさんと落ち合う。平成七年三月の退職祝い以来、お会いするのは久しぶりだ。ヨシキも神妙に「こんにちは」と挨拶している。電車の中で話が弾む。

登山道途中の高浜虚子句碑

   JR門司港駅に降り立つ。平成四年一二月に風師山に一人で登りに来て以来、八年ぶりの関門海峡の眺めだ。朝は大雨で天気が不安だったが、門司港に着く頃には曇りになった。門司港の市街地を抜けて、清滝公園へ向かう。車道を登っていく。風師山までの標識がこまめにつけられている。

中腹に高浜虚子の句碑がある。「風師山梅ありという登らばや」オオイシさんは句碑の写真を撮り、メモ帳に書き写されていた。その時の真摯な表情を見ていて、こちらの心が洗われるような気がした。

 車道が終わる所に江戸時代の歌人の宮川尚古の記念碑もある。ここから自然歩道になり、一息で標高三六四メートルの風師岩頭と呼ばれるピークに着く。これは風師山の三六二メートルよりも二メートルだけ高い。ここにはオオイシさんの今日の最大の目標の吉井勇の歌碑がある。「風師山登りて空を仰ぐとき雲と遊ばむこころ起りぬ」とあるが、吉井勇は昭和一一年に風師山に登ってこの歌を詠んでいる。ここには登山家槙有恒の記念碑もある。登ってくる人も多い。関門海峡の眺めが絶景だ。門司よりも下関の方が迫って見える。「向こうが本州だよ」と言ってもヨシキはなかなかピンと来ないようだ。

 お腹が空いたのでここで昼食。風が強いので、岩陰での昼食になる。食後に写真撮影。

 ここから風師山までは、一気に下ってまた登るが、七分しかかからなかった。風師山の頂上には反射板があるが、殺風景なところだ。他に人もいない。このころから天気がよくなって晴れ間も見えてくる。

 小森江の貯水池跡を目指して下山する。ジグザグの単調な自然歩道を降りる。一気に降りて、貯水池跡の公園から車道になる。林芙美子文学碑を訪ねる。林芙美子は『放浪記』に「私が生まれたのはその下関の町である」と書いているが、北九州市門司区小森江で生まれたとする説もあり、ここに文学碑が建てられている。

 もうひとつ文学碑を訪ねることにしていたが、急な坂を降りたために、ヨシキが足に豆を作ってしまい、スリッパを買いに行くことにした。門司出身で昭和四四年に亡くなった川端京子の「陽の中の茶の花月日惜しみけり」という句碑をオオイシさんは一人で見てこられた。

 この後、JR小森江駅から普通電車に乗り、小倉から新幹線で博多まで行って、ここでオオイシさんとお別れした。我々は快速電車とレールバスを乗り継いで甘木まで帰った。

 オオイシさんのおかげで、山中の文学散歩を楽しむことが出来た。取材に初めて同行させていただいて面白かった。一〇歳のヨシキにとっても初めての体験で意義あるものだったと思う。『福岡県の文学碑(近代編)』の完成を心待ちにしている。

風師岩頭の吉井勇歌碑

風師山の山頂にて

小森江の林芙美子記念碑
 「風師山に登ったこと」
 今日、おとうさんの知り合いの、オオイシさんと北九州市門司区の風師山に登りました。そして岩峰でべんとうをたべて、岩で遊びました。ちょうじょうにつくと、はんしゃばんがありました。おりるときに、小指にまめができたので、山からおりて、ぞうりをかいました。ぼくは、でんしゃにのって、かえりました。風師山はいろんな道があるということがわかりました。風師山のちょうじょうは、きもちよかったです。
                                              (四年 ヨシキ)

                    付記
 このページを御覧になられた方からメールをいただいた。中腹の高浜虚子の句碑について、「風師山桜ありという登らばや」となっているが「桜」でなく「梅」だったとのこと。私の手元のガイドブックは、1冊は「桜」、1冊は「梅」となっていた。ガイドブックのものをそのまま記したらしい。「梅」が正解なので、訂正した。こういう指摘はありがたい。感謝したい。(2002年7月9日)

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